なべおさみ演じるチンピラ青年の

10月7日、『吹けば飛ぶよな男だが』(68年松竹)をDVDで観る。監督、山田洋次。万博開催に向けて沸き立つ大阪の歓楽街。なべおさみ演じるチンピラ青年の仕事はブルーフィルムのスカウトマン。緑魔子演じる九州からの家出少女は「ぶっつけ本番」で強姦シーンの撮影に引っぱり込まれるが。なべおさみは兄貴分のあまりに強引なやり方に反発し緑魔子を連れて逃走する。兄貴分の芦屋小雁の「足おさえとれ、コラッ」とドスの効いた声も怖いがなべおさみのチンピラ役もやり手の拡張員のようで充分おっかない。60年代末はやくざ映画全盛期。そんなときに緑魔子東映から借りてきてあまり格好よくない等身大のアウトローと言うよりはっきり社会悪である。『底辺の者』を正面から描いた野心作なのだろう。が、全編にわたり何ともやるせないのだ。80年代、私が中学生の頃、日曜の昼下がりの日本テレビでは昭和40年代のこんなやるせない邦画がたびたび放映されていた。クレイジーなべおさみも既に高度経済成長期を全力で駆け抜けた後であり漫才ブーム世代にとって目の上のたんこぶであるなべおさみを私も自然に嫌っていたような。ところが当時ファンだった戸川純が本作をフェイバリットに挙げて主題歌までカバーすると考えも変わる。“底辺の者よ 労働者諸君よ”という歌詞の入ったバージョンは本編には使われていないがあえて吹き込んだ戸川純の思い入れに私も胸が熱くなった。本作でなべおさみがブルーフィルム女優にされるところを逃がしてやった緑魔子をかくまうのはトルコ風呂である。ミヤコ蝶々演じる女主人を母親だと思って一所懸命働くことにした緑魔子の純朴さには何かが間違っていると思うより先にほろりとさせられる。しかし緑魔子という女優にはこの時代の似たような映画の似たような家出少女役で何度もほろりとさせられているのでは。言ってしまえば常套手段というか確信犯というか。山田洋次作品に登場する屋台のラーメンや大衆中華の小汚い飯物が私は妙に好きである。本作にもそれらは登場する。『男はつらいよ』にもそれらは登場するが同じ業種の主人公を扱いながらも本作には指詰めも殺傷シーンもある。底辺の者であればそうした修羅も回避できない、正面から描くべきだと本作の山田洋次は思いきったのか。ならば思いきりやれという時代のザラついた空気がまだ社会全体に残っていたのが60年代末までで大阪万博以降は様変わりしてしまったよう。寅さんが刃物も振り回さなければ男盛りに買春もしない不完全なアウトローでもそれは言いっこなしになり。