ガラス張りでいこうと決をとったら

11月11日、香山リカ著『ポケットは80年代がいっぱい』(07年バジリコ株式会社)を読む。精神科医であり政治、社会各方面の評論で活躍する香山リカの自叙伝であり80年代(特に前半の)サブカルチャーを臆せず振り返った貴重な考察。本書に登場するさまざまな80年代文化の中で私が一番これぞ80年代と感じた箇所は「バブルより速く―長めのあとがき」の項に出てくる有楽町西武デパートのオープンイベント。84年10月に「“モノ売り”から“情報発信”拠点へ」をテーマにオープンした有楽町西武の一角に一週間新聞編集部をかまえ、日替わりゲスト編集長(ムーンライダース矢野顕子みうらじゅんなど)と糸井重里がチームを組んでの紙面づくりをガラス張りの編集室の中で行なうという場面。デパートのお客らは何となくその場を素通りしたり少し中の様子をうかがってまた歩き出したりする。当時編集スタッフの一員だった香山リカは「こんなにスゴイ人が来ているのに、どうして人が鈴なりにならないのだろう?」と不思議だったそう。私はそのガラス張りの編集室には人が鈴なりになってもならなくても仕掛けた側には成功だったのではと思う。ガラス張りでいこうと決を採ったらもう成功。80年代といえばガラス張りだったのだ。有楽町西武に続けと後に堂々オープンした春日部ロビンソンのエアロビ教室もガラス張りだった。こちらはそんなにスゴイ人が来ているわけでもないのに女性インストラクターのレオタード姿に人は鈴なりだった。長野県知事時代の田中康夫が発案したガラス張りの応接ルームも狙いは同じような気もするし86年にゴダールの再来と騒がれたレオス・カラックス監督の『汚れた血』に登場する窃盗団のアジトも表通りから丸見えのガラス張りだ。こんなにスゴイ人たちが外から丸見えですがねといった排他的アプローチがいかにも80年代的で今頃になって嫌な感じがしてくる。ガラスの向こうのスゴイ人たちの中で使い走りをしていた香山リカだって自分もけっこうスゴイと思ってきびきび働いていたのではないか。はっきり言って充分うらやましいのだが著者がそんな無名時代のバイト体験まで自分から告白してしまうのはなぜか。糸井さんやムーンライダースと西武のイベントで新聞を作った青春の一ページのお宝感が07年の時点では下落し続けてる気がしていたのでは。有楽町西武が閉館した現在では別の意味というか本来の意味でのお宝感はあるが。来年あたり本格的な80年代ブームがやってくると当時の数々の若気の至りを思い出しそうな貴方には必読の一冊。