やはり山田花子の目指すところはこっち

11月14日、地元の図書館で借りた『イルカ全曲集』を聴く。オープニングは『Follow Me』、真中辺りに秋元康林哲司のコンビによる『もう海には帰れない』が収録されてエンディングは『なごり雪』であるから大体デビューから80年代半ばくらいまでの作品をまとめたもの。漫画家の山田花子が自身の好きな音楽に筋肉少女帯やケラ、あぶらだこなどの80年代インディーズロック群のほかにイルカを挙げていたのがずっと気になっていたので。ちなみに好きな文学には宮沢賢治と新実南吉を挙げている。イルカも宮沢賢治が好きで菜食主義でもある。山田花子が今でも生きて作家活動を続けていたら菜食や動物愛護に関心を持っていたのではないか。『青春の光と影』はイルカ自身の作詞作曲だが“この世の事は何も知らない/自分の事さえ何もわからない/だから何か知りたい/私の心の奥底にひびく何かを/ウーいつも同じ ウーあこがればかり”という歌い出しは山田花子っぽい感じがする。87年1月に山田花子が記した日記では新宿の楽器店にキーボードを買いに行った際、好きなバンド名をアンケートされてタコと原マスミと記入したが同じ欄に誰かが「尾崎豊」と書いているのを「ウップップ」と小馬鹿にしている。そんな山田花子がフェイバリットにイルカを挙げているのをギャグだとは思いにくい。なんだかんだ言ってもやっぱり好きな「我が心の友」のようなアーティストだったんだろう。私の好きなイルカ作品はといえば伊勢正三作詞作曲の『雨の物語』や『海岸通』や『なごり雪』なのだが。いずれも胸の内ではお互い倦怠を迎えている男女が表面的にはいたわり合ってきれいに別れるような内容である。そんな世界にうっとりする私なぞ山田花子から見れば「ウップップ」な最低人だろうか。ならば山田花子伊勢正三路線のイルカは好きじゃなかったのか。『雨の物語』は編曲に元ジャックスの木田高介が参加しているから嫌いじゃなかったのでは。イルカと木田高介のコンビによる『いつか冷たい雨が』など“でも私だって/食べて育って来たのだし/虫だって 殺したこともあります”とかなりストレートな菜食主義、動物愛護を掲げた内容である。やはり山田花子の目指すところはこっちだったように思える。いじめや性欲過多のモテない男(または女)を題材にしたキワモノ路線の漫画でブレイクしていたらいずれはエコロジー寄りの作風に転向していたはず。そんな四十路半ばの山田花子を今の私が律義にフォローしただろうか。多分していない。でもそうなるべきだった。