届かない所に消費の余地、つまりは

12月11日、新宿にオープンしたばかりの「ディスクユニオン昭和歌謡専門店」を訪ねる。神保町の「タクト」を意識してか中古盤以外に古本、古雑誌なども店内には並んでなかなかの盛況。いい店だ。今後も末永いお付き合いが続きますようにとの祈りを込めて川越美和の『どうぞこのまま』を購入。91年10月21日に発売された短冊シングルで当時は税込定価九百円。ディスクユニオンではこのシングルが七百円と90年発売の同じ川越美和のアルバムが三百円で売られていたので計千円を支払って私は店を出た。川越美和か。91年は歌謡史的には山本リンダが再ブレイクする一方でKANの『愛は勝つ』が大ヒットした年。山本リンダはまぎれもなく昭和歌謡の人だがKANはJ−POPの先人と思えなくもない。同年5月に横浜アリーナで復活コンサートを開いた尾崎豊はニューミュージックの終わりの方の人といった感じが今はする。70年代フォークの90年代風リメイクもひと頃いろいろあった気がするが川越美和の『どうぞこのまま』を私は知らなかった。90年代初めに丸山圭子が再評価されていた記憶もない。ということは何かの流れに便乗したわけではない川越美和の一人再評価による強引な丸山圭子のカバーであり何となく現在の川越美和のマイペースな活動ぶりにも通じるような。「どうぞ このまま どうぞ このまま どうぞ やまないで」と「くもりガラスを たたく雨の音をかぞえながら」どうでもいいような拍手と安アパートでむさぼり合うようなどぶ猫キャラは丸山圭子だから成立したのではなかったか。91年においては川越美和が安アパートにどうでもいいような男を引っぱり込んで昼夜むさぼり合う図は存分に男のロマンたりえたのか。映画『松ヶ根乱射事件』の淫蕩な内縁の妻役の印象を重ねても川越美和の『どうぞこのまま』はだいぶ薄味である。70年代の丸山圭子のただれた感覚と不潔ったらしさには届かないのだ。届かないところに消費の余地、つまりは男のロマンがあったのだろうか。リメイクの方がオリジナルより濃厚だった例はあまりないが薄めて正解だった例はけっこうある。本作などはそちらを狙ったものかもしれない。しかし90年代初頭に薄口の丸山圭子を演じるという現役アイドルらしからぬ変なチョイスを見せた川越美和はその後もディープな変質を続けていく。当時なりきり丸山圭子でシングルを出したりという川越美和に対し会社側もその突拍子もなさを面白がっていたのではないか。何ともインディーズっぽいというかやっていることはほぼインディーズだ。少し嫌味な感じの。