懐かしいその筆跡を初めて見たのは81年

6月13日、忌野清志郎 著『ネズミに捧ぐ詩』(KADOKAWA)を読む。“執筆から26年、四半世紀を経て、永遠のブルースマンが贈る待望の新刊”と帯にある通り88年頃に忌野清志郎が記していた創作ノートをまとめたもの。各段落ごとにノートからまま拾い上げた直筆の走り書きが飾られている。懐かしいその筆跡を初めて見たのは81年、JICC出版局から出た『愛しあってるかい』の巻末に公開された同様の創作ノートに並んでいた忌野清志郎のあの筆跡だ。『愛しあってるかい』のノートに記してある試作詞には『わかってもらえるさ』や『体操しようよ』など後に再浮上したRCサクセションの代表曲もごろごろしている。憂うつ気な自身のスナップ写真が貼られたノートの表紙に「1975.5〜1977.12」とせつなく書き込まれた当時の貴重な資料のことも編集の山崎浩一に提供した時点ではもう昔の笑い話だったのでは。本作『ネズミに捧ぐ詩』におけるノートの内容はどうか。幼友達から多額のサギにあった件や顔も知らなかった実母の写真や遺品が戻ってきて「まるで恋人ができたような気持ち」になる告白、赤裸々過ぎるドラッグ体験などが綴られている。『愛しあってるかい』の頃にはおそらく想像もしなかっただろうその後の修羅場でのため息の他にかつてのノートにごろごろ転がっていたような「原石」は見あたらなかったよう。本作に収録されている試作詞『犬』の「そうさ、おいらは飼犬さ、シッポをたれてりゃ褒められる 主人に噛みつきゃ殺される」に出てくる主人とはもはや『GOTTA!忌野清志郎』(88年角川文庫)に登場する「O氏」のことではないだろう。同じように扇情的なカラーを持つ詞なら『ぼくはタオル』の「ぼくはタオル 汗をふかれる 冷汗 油汗 ドロドロの ぼくはタイル 便所のスリッパと 仲よしよこしのお友達」の方が秀逸だし読ませる。ならば「宗教なんぞに興味はねえ どの政党にも属さねえ 読書もしねえし 思想もねえ」と吠えまくる『犬』を読み込めない私はすでに忌野清志郎の詞とは決別していたのか。「言うこと聞かなきゃエサをぬく 血の気の多い犬よりも お肉の好きなでかい奴」らしいその飼主と対座していた忌野清志郎は素顔であっても素面ではいられなかったよう。そうして書かれた試作詞の出来は「ぼくはタオル」の頃とは比べようもなく悪酔いでムキになっている有様は自身もはっきり気づいていたはずだが。81年の再浮上期のRCのぎらぎらした自虐的ユーモアが円熟することはなかった。