裏でこそこそ中傷し合うから問題は

7月27日、森達也 著『いのちの食べかた』(角川文庫)を読む。ドキュメンタリー映画界で数々の賞を受賞している映像作家の森達也が食肉をテーマに04年に出版した著書を文庫化したもの。本書の語り口は著者が小学生以下の学童にもわかるようにふり仮名付でやさしく問いかけるよう。「肉。分かるよね。豚や牛、鶏肉もあるね。料理によっては羊や馬もある。魚ももちろん肉だ」などと移動教室の特別講師のようにソフトで人懐っこい口調はドキュメント映画の大家、小川伸介が作品のなかでみずから担当するあの何とも耳なじみのよいナレーションを意識しているよう。第一章「もしもお肉がなかったら?」では普段の食卓に並ぶお肉が現在国内でどのくらい消費されているのかを明かしてから食肉の歴史をたどる。大量に消費される牛や豚の肉を生きたまま食べているわけではない「君たち」に生産農家から運ばれた牛や豚が切り分けられた肉になるその「あいだ」を教えようというところで第一章「もしもお肉がなかったら?」は終わり第二章「お肉はどこからやってくる?」では芝浦と場で屠畜される牛や豚の様子がレポートされる。ドキュメンタリー作家である著者は本来ならと場を舞台にしたテレビ番組が作りたいそう。と場にカメラを入れて牛や豚を処理する映像が放送しにくいのはもちろんだがそこで働く人々の多くが同和地区出身であれば同和問題にも触れないわけにいかず苦労しているとか。要するに「君たち」が食肉のプロセスや部落差別をもっとオープンに日常レベルで話し合ってくれればもっとすっきりした世のなかになるのにということだろうか。裏でこそこそ中傷し合うから問題は余計ややこしく蛇のようにとぐろを巻くのだと。文庫版あとがきに紹介されている海外ドキュメンタリー映画いのちの食べかた』は私も観た。本書の出版から三年後に屠畜を扱ったその劇場映画に「とても大事なテーマを丁寧に描いている」と思った森達也は本の題名を映画の邦題にゆずった。映画の『いのちの食べかた』の内容は完全オートメーション化された屠畜や巨大農場の現場を全編BGM抜きで映像のテンポだけで交響曲さながらに大量のいのちが処理され製品化される様子を撮影したもの。おそらくは森達也が撮りたくても撮れなかったテレビ番組よりずっと高尚で毒気も洒落っ気も充分な秀作なのだった。そんな作品に対しても身じろぎせずに丁寧ないい映画だったのでタイトルをゆずったなどとは負け惜しみのようだがその食いさがりっぷりは痩せても枯れてもドキュメント作家なのだなと感ず。