何だかんだと実は皆一様に育ちの良い

9月30日、早川義夫 著 『生きがいは愛しあうことだけ』(ちくま文庫)を読む。本書は歌手、早川義夫が05年から14年初めまでにあちこちの出版物やサイトに寄稿した文章をまとめたもの。内容は近年死別してしまった音楽仲間たちへの追悼文、奥さんや恋人との生々しくも可笑しい痴話コントとでも呼びたい告白文、ソロデビュー後に事務所からも独立してから始めた「一人ブッキング」の身辺記など。だが文庫の丁度真ん中あたりで「ジャックスについて」の項が始まりぴくりとなる。08年にEMIミュージック・ジャパンから≪ジャックス四十周年記念アルバム≫がリリースされた際に担当者から当然相談を受けたが自身は協力できなかったいきさつ、ジャックス結成から解散までの著者の記憶に残るてんまつ、記念アルバムの仕上がりに思いのほか満足し元メンバーとも連絡をとり合い担当者に礼状をメールした後日談が記される。著者自身が振り返るバンド結成時の回想は楽しげで嫌々語る風でもない。「練習は昼間、秋葉原の僕の家で雨戸を閉めきってやった。チューニングは唯一譜面が読める木田君が受け持ち(当時はチューニングメーターなどない)、絡まったコードも性格的に全然イライラしない木田君がほどいてくれた。水橋君はプロコルハルムの『青い影』をよく一人で弾いて歌っていた。上手だなと思った」というくだりはまるで著者自身が二十歳の若者に戻って語りだしたよう。24年のブランクの後に再デビューした際にも“自分が18、19、20のときと頭の中が何も変わっていないから、しょうがない”とインタビューに応じていた著者の内面はさらに20年経過した今も変わっていないのでは。本書の後半あたり、「みんな同じ道」の項で「僕は若い時、五十、六十、七十歳の人の気持ちは全然わからなかった」著者がその年齢に差しかかり「いくら歳をとっても二十歳の頃と、心の中は変わらないものである」とわかってしまった痛切な実感はこう続く。「こんな悲しいことはない。こんなみじめなことはない」と。つまり“一生青春”などとは加山雄三マイク真木でなくとも誰の身にも降りかかる歪んだ老害のようなものだと。私には早川義夫が若かりし頃とくらべて悲しいともみじめだとも思えない。が、“一生青春”を表看板にしている若大将もマイク真木もさほど醜悪に老いさらばえたとも思えず。何だかんだと実は皆一様に育ちの良い結構な富裕層の若者だったのかと。往時のジャックスだって言ってしまえば政治色をあえて残したカレッジ系GSと呼べなくもないわけで。