着くなり夜飯は生ものだから早く

10月19日、藤原新也 著『日本浄土』(東京書籍)を読む。本書は写真家でありエッセイストでもある著者が04年から08年までに雑誌『coyote』などに残した紀行文を単行本化したもの。著者は70年代初めからこの時点で三十年近くも地球のいたるところへ旅しては写真と紀行文を発表してきた。そうした仕事に着手した70年代初めにはまだ海外旅行も一般には贅沢であった。著者は自分以外の邦人はまだ足を踏み入れていない土地に潜入ルポを挑むのだから当時は充分にスリリングで好奇心を揺さぶられたはずである。が、それも三十年続ける間に交通網も発達し地球のいたるところへ気軽に旅することも一般に行き渡ると潜入ルポもその潜入先に苦労し始める。本書では新たな潜入先を著者の郷里にも近い長崎県島原半島山口県祝島と過疎の離島に絞り込み「手のひらサイズの浄土」を求め旅する。印象に残ったのは「天草海とまねき猫」の項。天草下島に前から一度は旅したかった著者だが旅のプロフェッサーとしてはお手軽なコースで巡りたくはない。天草五橋を渡らずフェリーに乗る、フェリーに乗るため港まで島原鉄道で半島の東端から南端までと気の長いコースを決行。そのお蔭で三百八十円で信じられないクオリティーの地元のコンビニ弁当に出会う。観光業者に隅々まで値踏みされた後のリゾート地では決して出会えないお宝がこうした過疎にはまれに現存しているのだなとうらやましくなる。隣町へ足を伸ばすにも二時間強はバスを待つこの土地でレンタカーを利用するのも「私の流儀」に反すると考える著者はふと立ち寄ったリサイクルショップで見つけたママチャリに啓示を受ける。「…べつにママチャリで旅をしたっていいじゃないか」こうして二千円で入手した中古のママチャリで旅はつづく。が、「ママチャリで二十キロ走るのはかなりの難事業である」と気づいた時には遅くペダルをこぐこと半日がかり。ようやく海際に立った一軒の「浜屋」という名の安宿にたどり着く。着くなり夜飯は生ものだから早く食べてくれと女将にせかされて怒る気もせず一時間後に運んでもらうとこれが昼間のコンビニ弁当以上に信じられないクオリティの海の幸。「この海って豊かなんだなぁ、で、この海の対岸はどこになるの?」と仲居さんに問う著者。答えは水俣水俣ってあの水俣病のと動揺するもあれから四十年近くも歳月は流れていたのだ。水俣の海の幸は実際豊かなのだ。「どうやら快楽とは忘却という意味の単語であるらしい」という結びに思わず固まる。