しかし、ふがいないといえば

12月3日、青山円形劇場にて『夕空はれてーよくかきくうきゃくー』を観る。作=別役実、潤色・演出=ケラリーノサンドロヴィッチとチラシやパンフにはクレジットされている。潤色というのは色どりを添えるなどの他に事実どおりでなく面白くするという意味がある。本作は円形劇場の閉館に合わせてこけら落としのその逆にゆかりの劇団が参加した演劇祭の大トリにあたる。それが別役実の書き下ろしの新作『雨の降る日は天気が悪い』の予定だったが作家の急病のために台本が間に合わず旧作の再演という形に落ち着いたもの最後ぐらい思い入れたっぷりのホットな新作をとの願いも空しく最後まで踏んだり蹴ったりでもとにかくやる、事実どおりでなく面白くするという意気込みを感じるクレジットなのだが。客席は平日の昼の部でもほぼ満席。客層は60年代から別役演劇を追いかけていたのだろう団塊世代が二割弱、80年代からKERA演劇を追いかけていただろうおたく世代が三割弱、あとは教科書化しつつある別役演劇を生で学習しにきた今風の演劇青年と芝居好きの主婦層が半数近く。だが会場の空気を調整しているのは二割弱の団塊世代なのだ。大半の観客がきょとんとしている場面に団塊世代が別役演劇の不条理ギャグの笑いどころを素早くとらえて笑い出す。すると会場全体も安心して笑い出すというような。半世紀近く前にホットだった舞台の再現が教科書どおりで正しいのかどうか。団塊世代の解説めいた笑い声につられて義理で吹き出すのもふがいないような。しかし、ふがいないといえば本公演自体こけら落としのその逆なのだしいったん掲げてしまった看板とは異なる演目を予定のキャストで早急に準備したとほほな大団円である事実はバレバレなのだからこの際これでよいのでは。仲村トオルのたたずまいは安定感があった。スクエアで馬鹿正直な人物が軸にならないと不条理ギャグが成立しない別役演劇には不可欠な配役だった。スクエア過ぎて笑えないのも事実だがカーテンコールであえて満足気に微笑むたたずまいには心からの拍手を送らせてもらった。最近の若い劇団のガッカリ感丸出しの暗いカーテンコールには本当にガッカリしたのはこっちだよ、これだから演劇ってやだと言いたくて仕方なかったので。先に微笑みかけてきた仲村トオルのはまり過ぎともぶち壊しとも言えるスクエアで馬鹿正直な好演にはもう敵も味方もなく拍手を送りたかったのだ。こけら落としのその逆には思いがけず似つかわしい舞台であった。