果たしてその回答はただそのままで

12月9日、『深沢七郎ライブ』(話の特集編集室)を読む。本書は作家の深沢七郎が87年に死去した翌年に親交のあった雑誌『話の特集』の編集者、矢崎泰久を中心に限定出版されたもの。その内容は随筆と対談のベストセレクション、色川武大尾辻克彦野坂昭如らによる追悼座談会など。なかでも『話の特集』紙上で67年から69年まで続いた人生相談ページ『人間滅亡的人生案内』は圧巻。60年代の終わり、田中小実昌山下清と共にヒッピー族から今で言えば「理想の上司」のように慕われていた深沢七郎による人生相談である。当時の深沢七郎は埼玉県菖蒲町(確か現在の久喜市)にてラブミー農場なる農園を持ち畑仕事がてら作家を続けていた。そうした生活に至るまでには書いたものが発端でテロ事件が起き一時期断筆し放浪するなどの苦難があったのだが。登場するヒッピー族は深沢七郎の苦難はさておき表面的な自由さ、アナーキーさに勝手に憧れて相談してくる。「拝啓 埼玉県菖蒲村に住する深沢七郎のお兄さんにおすがりします。小生、生まれつきの人間ぎらいにて、どうしても集団生活がうまくゆかず、就職しても一か月と保ちませぬ」、「僕は18歳になって二週間たった高校生です。僕は今、何もしたくありません」、「私は何もしておりません。別にしたいこともございません」、「一日中寝ています」などと無為なる青春に何とぞアドバイスをといった相談が集中するのだが。深沢七郎の回答は毎回決まっていてそれでいいのです、安心して何もしないでいればいいのですといった調子。ヒッピー族にしてみれば自由過ぎて実社会から淘汰されそうな自分、つまり滅びつつある自分に助言して欲しいのは深沢七郎ぐらいのものだと信じてすがるのだが。果たしてその回答はただそのままでいろとすげない。世間一般からは白い眼で見られても改める気がしない引きこもり生活を深沢七郎になら一喝されてみたいとヒッピー族は望んでいるよう。かたや初めから人間滅亡的人生案内と看板を出している深沢七郎はヒッピー族の滅亡こそを全面的に応援しているのである。ダメ連のような相互批評をめざすのではなく人間滅亡教の教祖である深沢七郎がマンツーマンで一人ひとりあの世に送ってやろうという懇切丁寧な人生相談は今現在でも需要がありそうである。が、何もしたくない自分に何もするなと言ってくれさえすればいいと思えるほどの「理想の上司」が今の時代にはそう見つからないのである。60年代の終わり、深沢七郎がまだいてくれたヒッピー族が今にしてみればうらやましいかぎり。