と、いうストーリーだけ書き出すと

2月22日『虫と歌 市川春子作品集』(講談社)を読む。本書は06年10月から09年12月のあいだにアフタヌーン誌上にて漫画家、市川春子が一話完結で発表してきた作品を一冊にまとめたもの。収録作は表題作の他に『星の恋人』、『ヴァイオライト』、『日下兄弟』と全部で四篇。いずれも現代劇で登場人物らは一見してごく普通の若者たち。だがそのごく普通の若者たちの日常のすきまにふいに異界がねじり込むというのがどの作品にも通じる著者の作風。『星の恋人』では主人公の男子高校生が可愛がっていた従姉妹がクローン人間だったという異界。『ヴァイオライト』ではセレブな家庭に育った男子中学生が実家の持つ航空会社で機長の父親と乗務員の母親をクラスメイトに自慢しながらの修学旅行中に墜落事故に遭うという異界。『日下兄弟』では期待の高校球児が肩を壊して療養中に出逢った地球外生物と交流しやがて愛し始めるという異界。そして表題作の『虫と歌』には長男、次男、長女の三兄妹が登場する。兄は表向き模型デザイナーとして独立している。まだ高校生の次男と長女は兄の仕事を手伝っている。あるとき兄の『作品』だった昆虫模型が三兄妹の元に己の意志で戻ってくる。兄の作った模型には己の意志があるのだ。が、生き物としてのレベルは昆虫並みに低く若死にを逃れられない。「お礼参り」にやってきた兄の「作品」をいつの間にか三男に迎えて兄妹のように仲睦まじく一家は暮らす。やがて「作品」には寿命が訪れて幸せだったと静かに死ぬる。と、間もなく次男の体にも異変が生じて命の終りがやってくる。次男もまた兄の「作品」だったのだ。自身の成り立ちを知った次男はならば妹も兄の「作品」に違いないと気づく。表向きは模型デザイナーの兄は昆虫実験と称してほぼ人間に近い生命体を何十回と産み育て亡くしていたのだ。と、いうストーリーだけ書き出すといかにもダークでえげつないのだが。市川春子の画風はすっきりしていて引き込まれるし何より台詞がしなやかでリアル。『日下兄弟』で地球外生命体を高校球児らが捕獲しようと悪戦苦闘する際に力づくで飛びかかり逃げられた後輩に先輩球児が「そういうことは千回くらいやった」とぼやく場面などさりげないが上手い。どの作品もこのように練り上げられた台詞と構成が粒立っている。どうしてこれらの優れた作品が未だひとつも映画化されないのかが不思議。それにしても市川春子恐るべし。漫画で伝えられることの容量など無視した圧倒的な筆力は異生物並ではないかと痛感す。