ネタを生きながらも自己流に再編集

4月14日、いがらしみきお著『今日を歩く』(小学館 IKKI COMIX)を読む。著者が今日まで15年以上も続けてきた散歩を通じて「日常を哲学するエッセイコミック」である。著者の過去作と比べるとちょっとした新境地の感。パワー全開の大ネタとしては本書と同じ担当編集者とコンピを組んだ前作『I(アイ)』があるし昨今映画化された『かむろば村へ』もある。そうした力作を描き続けている大御所漫画家がどんな日常を送っているのか。創作のヒントのようなものにいつどんなふうに出会っているのかを自らレポートしたもの。主人公である著者の15年来の散歩コースは自宅周辺の「距離にして3? 弱」を毎朝どんな悪天候にもめげず「30分ほどかけて歩く」。「ほとんど動く定点観察だ」と語る著者は漫画家人名事典によると55年生まれの60歳、79年デビューでキャリア30余年。同世代の桑田佳祐と重なる長距離ランナーぶりである。そんないぶし銀の職人が日頃大切に心がけていることは街に出て人々の暮らす様子をチラ見すること。じろじろ見たり話しかけて事情を聞いたりはしない。チラ見して通り過ぎてから疑問に感じた他人の行動についてその事情を「推理する」のだ。財布を拾って交番に届けるとちょうど落とし主が事情聴取されている。著者はいいことをしたような心持ちで財布を渡したが落とし主は「なのにあまりうれしそうじゃなかった」のだ。「かすかに酒の匂いがした」落とし主は著者が財布を車道の真ん中で拾ったと証言したことでバイクの酒気帯び運転が隠しきれなくなることに消沈していたのではと推理する。詳しい事情は知ろうとせず交番の空気や警官のニタリ顔から事情を推理する。いつもすれ違ういじめられっ子風の中学女子が男子に何かからかわれて果敢に言い返したその決めの一言はどんな台詞か遠巻きにチラ見した後で推理する。目の前の現実からネタをいただいたあとでオチは自分でいい加減につけてみる。それが自分で笑えるかどうか。「私はなんだかおかしくてちょっと笑ってしまった」ならばその一件は立派に物語として昇華されているのだ。ネタを生きながらも自己流に再編集させる試みを常に止めない思考が著者の創作スタイルなのだと感ず。「途中でかならずコンビニに寄り、かならず牛乳とヨーグルトを買い、かならず千円札を出す」そのことに何ら意味はない。この現実世界へのネタふりなのだ。「散歩はなにも起きないのが望ましい」はずの著者がつい我慢できず繰り出してしまうそうした日々日常へのくすぐりはどこか可愛らしい。