最早吹けば飛ぶような劣化状態にある

5月3日、山下浩 監修、椹木野衣 解説『山下清 作品集』(河出書房新社)を読む。本書は「放浪画家」「裸の大将」として知られる山下清(1922―1971)の残した貼絵、油絵、ペン画などの作品群と放浪日記の一部を収録した山下清ワールドへの入門書である。「テレビドラマの影響で絵を描きながら放浪をしていたと思われているが、実際は旅先ではほとんど絵を描いていない」山下清の実像を案内してくれる監修の山下浩山下清の甥にあたる人物。「小学校の頃に叔父から貼絵を習っていた」という氏は現在では流行作家時代の山下清の秘書的存在だった実父の山下辰造と同じく山下清の作品を保存し紹介する仕事に就いている。貼絵という芸術作品は劣化のめまぐるしいもので本書に紹介されている作品もまだ褪色が進む以前の頃の複写だそう。今現在の色落ちしきった貼絵作品はもう公開されることはないのかと思うと少し残念なような。「金町の魚つり」や「神宮外苑」や「小石川の後楽園」に見られる風景の切り取り方や空気感は今現在その土地に立ってもなるほどと思わせる普遍性があるのだ。これほど臨場感のあるスナップショットのような貼絵作品が一枚の写真同様にセピア色に自然劣化した有り様に触れてみたい気がするのだ。東宝映画の倉庫にはシリーズ創成期の撮影に使われたゴジラキングギドラの着ぐるみが保存されているが劣化が激しく手を触れると崩れ落ちそうな状態だそう。私がその話を耳にしたのも復活ゴジラ公開時であるからもうさらに30年が経過していることになる。最早吹けば飛ぶような劣化状態にあるはずのそれらの着ぐるみはまだ渋々保存され続けているのかどうか。本書の作品群の中で私がとりわけ好きなのは38年作成の「ともだち」である。うつむき加減の少女の膝に手を置き何やら諭すような少年の表情もまた沈みがちで全体に物悲しくウェットな印象。この作品に限り通常の折り紙ではなく古切手や新聞広告を切り貼りして人物像を描いている。人物の顔面によく見れば活字や商標が埋め込まれているのがいい。格好いいと表現したい。ヤクルトの空容器や煙草の空箱で作成されたいわゆる廃品アートのふがいなさとはっきり格差をつけている高尚な芸術作品である。この作品が今現在どれほどまでに朽ち果てているのかこの目で確かめてみたいという欲望が私の中になぜかある。昨今話題の旧日本軍の戦艦の劣化状況よりこちらの方がどれほど深刻だろう。などと考えるのは世間でいう芸術バカの思考に近いのだろうがついそう思ってしまうのだ。