言わば日本の「青春」は明治生まれで

12月14日、金子光晴 著 『現代日本のエッセイ 絶望の精神史』(講談社文芸文庫)を読む。本書は1965年、昭和40年に明治百年、戦後二十年と呼ばれひと段落した時代的気分のなかで詩人、金子光晴が七十年の人生と世相を照らし合わせ振り返ったエッセイ集。当初は光文社カッパブックスより刊行されたもの。巻末に初版のカバーも載せられていてヤング向きのライトノベルといった感。当時の若者は明治、大正、昭和を生き抜いた詩人の半生に強い関心を抱いていただろうし今の若者よりずっとそれらを吸収しやすかったはずである。評論家、津野海太郎のエッセイ集『歩くひとりもの』(ちくま文庫)のなかの一篇『他人の家庭』では60年代すでに「戦争を知らない世代」にあたる演出家の佐藤信が戦争について新聞に文書を書かされた際に「いかにもぼくは戦争を知らないが、でも両親が経験したことぐらいまでなら、ほとんど自分自身の経験のように感じることができる」と発言し英文学者の小野二郎より「マコトの言うとおりだよ。歴史意識というのはそういうものなんだ」と賛意を得たエピソードをふと思い出す。金子光晴明治28年生まれ。本書を発表した頃は70歳、孫娘、若葉は昭和39年生まれで私とほぼ同世代。私にも歴史の彼方の出来事とは思えない著者の語る明治百年史は随所目からウロコだ。本書の前半部『ひげの時代の悲劇』のなかの「胸のわるい文学青年と、感傷的な少女との恋愛の組み合わせは明治の下半期から大正にかけての、いたみ多い若人たちのあこがれでもあった。そして、その背景となるものは湘南海岸であった」というくだりには昭和期のあらゆるジャンルの青春劇が明治期に始まったのかと気づく。『俺は男だ!』も『ゆ・れ・て湘南』も果ては『湘南爆走族』まで明治の父の血脈のなかにあったのかと。言わば日本の「青春」は明治生まれで「明治時代は、臣民には、天皇への忠誠を要求したように、女には一方的に男への貞操、淑徳をもとめ、それにもとるものは、貫一がお宮をののしったように「売女」の列に貶された。女の自由を抑圧するためには、法律までも荷担した」と記されるように男尊女卑の日本の「マチズム」も同時期に一般化する。「青春」と「マチズム」は明治期にセットで広まった事実はそのまま昭和期の歌謡史、映画史、漫画史に深く影響しているように思える。そうした源流や原始林を興味本位であれのぞいてみたがるのは私の世代までかもしれない。後に続いていく若い世代にしてみればそれらは正しく歴史の彼方のデストピアであろう。