この珍事を見逃さない編集者の眼力に


3月1日、山田太一 著『S先生の言葉』(河出文庫)を読む。本書は脚本家の山田太一がこれまで新聞雑誌等に発表してきたエッセイの中から企画・編集をフリーの編集者に委ねたベストセレクションのこれが第一弾。まえがきには「私はいま八十一歳で、一応おだやかな常識人を装っていますが、実は底流にどさり気難しい鬱が居座り、こういう時となるとどれもこれもけずって残すものはなにもないという気持になりかねない自分を持て余したのです」と今の時代にちぐはぐな過去作を自選しかねない迷いが告白されている。自身は脂が乗った全盛期の力作のつもりでも今時の若者には訳が分からないものになるかもしれない。ならば現在脂の乗った編集者に「そのあたりを他人の目で、プロの目で見て貰うことにしたのです」という。八十歳を過ぎた著者の過去作は五十間近の私にはどれも心に沁みたが一つだけ少し訳が分からない一篇が。『STOVE』なる題名のその短文は著者が四十六歳の頃に若者雑誌『ビックリハウス』に寄せたもの。『ビックリハウス』は著者の旧友である寺山修司が後見人の様な形で起ち上げられた80年代を象徴する若者雑誌である。友だちがらみで最先端の若者文化圏にも顔を出すことになった山田太一がナウな雑文に計らずも挑む形か。この珍事を見逃さない編集者の眼力に同世代感しきり。『ストーブ』という言葉がはずかしくて仕方がないというだけのごく短い一篇には著者には珍しく若者文化の輪の中に自身からやや強引に肩を組みに行く感が。「あ、こう書いただけでも変な気持がしてくるのだ。ワイセツなのである。ワイセツに思えて仕方がない」というくだりにはこちらがいたたまれなくなる。そんな永倉万治ばりのくすぐりをあの山田太一がと。「お読みになっているあなた。ためしに声にしていってみて下さい。「ストー」と、それから、いえるならいってみて下さい。小さく、しかし思いきって、「ブ」これは、もうたまらないわけ」と記した80年には巨匠もまだこれほどC調だった史実はなぜか勇気をくれる。思えばこの時点では著者のキャリアの決定打になる『ふぞろいの林檎たち』は企画段階にも上っていないのだった。が、友だちがらみで首を突っ込んだ若者文化圏にその後も中年のプライドを賭けて向き合う決意がここに芽吹いたのだとすれば貴重な一篇。容赦ない力漕を見せつけたまだうら若い編集者を著者は今とても信頼しているよう。