そうしたいびつな笑いも本書には

8月7日、蛭子能収 著『ヘタウマな愛』(新潮文庫)を読む。本書は02年8月 KKベストセラーズより刊行されたものを文庫化した所謂タレント本。有名人が夫や妻との闘病記や哀悼の思いを綴った著作の類を蛭子さんも出していたのを私は知らなかった。が、蛭子さんの前妻がその頃亡くなったのは知っていた。タレント活動ぶりもユニークな蛭子さんなら闘病記も哀悼本も自然とユニークになってしまうかと思ったが。そうしたいびつな笑いも本書には多く含まれているがシリアスな部分もある。“「起きれ!起きれ!」いつの間にか、俺は眠ったままの女房にそう声をかけていた。俺の声で女房がこっちの世界に戻れるなら、声が枯れるまで叫んでやろうと思った”というくだりには普段テレビでは見せることのない剥き身の蛭子さんがいる。タレントとして長命な訳はこの感情コントロールの巧みさでは。“「面白いことしゃべれるわけじゃなかけん、あんまり口出しせん方がええよ」とか「オヌシ、やってることが保守的すぎんか」とかオンエアを細かくチェックしては、色々意見してくれたものだ”という蛭子さんの前妻はタレントとしての蛭子さんの魅力を引き出す大きな役割を果たしたよう。“女房は俺のことが大好きだから、何でも許してくれるって、そう信じていた”ように蛭子さんが自身を他者から好かれやすく許されやすくセルフイメージできたのは前妻、貴美子さんのお陰なのだ。“そのくせというか、だからというか、すごくヤキモチ焼きだった”という貴美子さんは長崎時代には親友とベ平連の活動をしていたとか。“女房は俺にとって妻であり、親友であり、同士だった”とある通り典型的な70年代初めの学生運動カップルだ。そもそも学生結婚という言葉自体はあの時代に生まれ今は風化したもの。言葉は風化してもあの時代に生まれた結びつきは今も何処かに受け継がれてはいないか。私には同性愛者が結婚をめぐって権力と闘う姿などが近いように思えるが。蛭子さんが貴美子さんと共闘し始めた頃の将来の夢は映画監督。言われてみれば蛭子漫画の作風は松竹ヌーベルバーグ調にスタイリッシュで大島映画の絵コンテを見るよう。もちろん絵描きとして時代のカリスマ、横尾忠則の影響も受けていた。が、蛭子さんは六大学卒でも美大卒でもないのに80年代初めに起こるヘタウマ美術のラインナップに堂々躍り出ている点がすごい。中上健次に続くサブカル界の成り上がりな訳でありそういう不気味な存在の蛭子さんにはまだまだ長生きしてもらわねば不安である。