夏目漱石の言わずと知れた原作小説を

8月10日、大和田秀樹 著『坊っちゃん』(日本文芸社)を読む。“日本文学史上、最も有名かつ多く読まれた名作を漫画界随一の鬼才が漫訳したらこうなった!”と帯文にある。夏目漱石の言わずと知れた原作小説を「漫訳」した大和田秀樹なる著者には『機動戦士ガンダムさん』なる代表作もあるよう。つまりはスタンダードな旧作に独自のひねりを加えた新訳もので注目される漫画家なのだ。とは言え『坊っちゃん』は過去にも映画やドラマやアニメの原作になりそのつど現代風に脚色されてきた。スタンダードな旧作に独自のひねりを加える作風で知られる著者でももうあまりひねるところは見つからないのでは。“10分で読める『坊っちゃん』”が売り文句の本作における原作からの独自のひねりを探してみる。まず坊っちゃんは20世紀初頭の東京市に生まれ育った男まさりな女。坊っちゃんが新任教師としてやってきた四国松山の中学校で出会う同僚の山嵐も女子。教え子も全員女子。坊っちゃんの実質的には唯一の身寄りである清は本作に登場しない。そしてマドンナは洋装してるだけで田舎ではまぶしがられている地元有力者の不細工な箱入り娘という設定が著者独自のひねり。逆に原作に忠実なのは主人公、坊っちゃんが“馬鹿と田舎者がキライだから”最後まで四国松山の悪童とも指導者とも和解せずあっさり手を引くところ。岩波文庫の原作のカバーには“が、痛快だとばかりも言っていられない。坊っちゃんは、要するに敗退するのである”と広告文がある。私にはこちらの指摘の方が本作の「漫訳」の面白がり以上の毒針に感ず。『坊っちゃん』が痛快で面白い名作文学であるうちはまだまだ浮世は馬鹿と田舎者の小山遊園地なのだと。四国松山という特定の地域で生活する人々を名指しでボロカスに非難中傷しっ放しでエンドロールを流す映画に地元の協力は得られない。だからこそ過去のドラマ化された『坊っちゃん』ではとって付けたような和解と感動の別離シーンが用意され原作ファンをへこませてきた。本作のエンディングに坊っちゃんが放つ捨て台詞「思い返せば…二度と来ないわよ!!」には胸のすく思いがする原作ファンも少なくないだろう。が、それでも坊っちゃんは要するに敗退するのである。『坊っちゃん』の負けをいつの日か取り戻すのは果たしてどんな新しき「都会育ちの破天荒先生」なのだろう。スミス一郎もしくは山本スーザン久美子といった助っ人セレブが私の予想するところ。そんな旗色不鮮明な浮世でもお前はまだ生き延びていたいのかと言われると心苦しいのだが。