もう飛躍しない、ジャンプしない

11月8日、渋谷TOEIにて『ぼくのおじさん』を観る。監督、山下敦弘。前作『オーバー・フェンス』をテアトル新宿で観た際、原作小説のファンなのか50代、60代の壮年層も多かった客席をこれまでの漫才調ではなく人物の佇まいや会話の間合いで笑わせている山下演出の円熟ぶりに感心した。が,本作ではさらに高齢層にも就学児童にも受け入れられそうなファミリー映画に果敢に挑んだよう。北杜夫の原作小説ではぐうたらなおじさんと主人公のぼくがハワイ旅行に出かけるだけのストーリーにマドンナ役の日系四世の美女を加えている。この原作にはないマドンナの投入で映画には少し色気をという手法は『苦役列車』で原作側とモメてこりたはずがあえてくり返すところも挑戦的。おじさん役の松田龍平は絵に描いたぐうたら哲学者だがマドンナ役の真木よう子にはエロチックな訳ありムードがありその一点で『男はつらいよ』の滅菌された中年メロドラマとも異なる印象。真面目男の萌えゆく姿を冷静に観察する甥っ子、雪男役の大西利空はプロフェッショナルな天才子役といった感。過去の山下映画に登場するどこで見つけたのか絶妙な味わいの天然子役と真逆。それゆえ画面も引き締まり安心して観られるのだがこれまでの山下演出はそれじゃ普通だからと飛躍を続けてきたのでは。もう飛躍しない、ジャンプしない普通さにこだわった山下演出は最後までぶれない。原作ではおじさんと雪男がハワイに住む日系人家族から真珠湾の話や収容所の話を聞かされちぢこまるくだりがある。そこは迂回するのも本作の文脈でならありだが。今回の山下演出はそこへ半歩だけ踏み込む。おじさんと恋敵の決闘が一応決着を見せたところで居合わせた現地の農夫が突然訳もなくライフルガンを空に向けて一発だけ撃つ。何のために。深読みしようと思えばいくらでもできるしやはり理由などない間抜けなリアクションとも受け取れる。その間抜けさが悲しいかな現代のオピニオンの歴史認識なのではという問いかけも感ず。『リンダ・リンダ・リンダ』で松山ケンイチに求愛されたペ・ドゥナが片言の日本語でキライじゃないけどスキじゃないと答えた場面と同様に。やはり大人から子供まで安心して楽しめるファミリー映画に転向しても山下演出ならではの過激なフックは健在かと。これからはこんな『男はつらいよ』みたいな家族向き映画もがんがん撮っちゃいますからといった挨拶状というか挑戦状をなぜか東映のスクリーンから投げかけてきた山下敦弘監督の真意は。来年はいよいよ勝負と見せかけて、か。