本作がセールス的に急上昇していたら

11月19日、小沢健二『球体の奏でる音楽』(東芝EMI)を聴く。佐々木敦の『ニッポンの音楽』の後半「渋谷系の物語」の章を読み、96年に小沢健二が同じ東芝EMIの浅川マキのバックを務める渋谷毅と川端民生をゲストにジャズアレンジのミニアルバムを発表していたことを今頃知って。本作を置き土産にオザケンはリューイチ・サカモトのようなコスモポリタンな音楽家になるべくNYに旅立ったのだと私は勝手に考えていた。昨今のオザケンには結局のところミュージシャンに行き詰まったからアクティビストにシフトチェンジしたのではないのか。山本コウタローみたいなものではないのかとも考えていた。本作には浅川マキの音楽のような重厚な漂泊感はなく軽やかな日帰りピクニックといった感。同じレコード会社の言わばドル箱歌手なのだから協力すれば自分たちの次回作にも充分な制作費が下りるはずとゲスト陣が考えたかどうかはわからない。が、映画『セッション』に登場する米国屈指の名門ジャズ音楽院の超スパルタ教育ぶりと血で血を洗うポジション争いに触れて私はオザケンの音楽武者修行が一般には公表できないほど凄惨なものだったのではと今頃気づく。本作におけるジャズとは新卒OLの朝のBGMにもなり得る味わいまろやかな今でいう和ジャズ。だが当時はセールス的に落ち込んだそう。自分たちの次回作に充分な制作費を期待したかもしれないゲスト陣の心中を察す。「私の周りにはいつもいい男たちが居てくれて」とステージ上で浅川マキに紹介されるときの渋谷毅と川端民生のはにかんだ表情は素敵なものだったが。本作がセールス的に急上昇していたら早過ぎた和ジャズはこの時点で目を覚ましていたのかも。そうなればこの面々で大人って感じのオザケンがツアーやプロモに走り回っていたのかも。と、夢想する私はあまり素敵な気持ちでもない。往年の浅川マキの年越しライブに池畑潤二が現れたとき私はうぉうと拳を固めたがもしその流れでオザケンがステージにひょっこり現れたなら私はニッポンの音楽の大人の事情にげんなりしていたのかも。これでよかったんだこれでと本作は今の私の朝のBGMになった。trk5『すぐに会えるかな?』の一節「ああ、子供だって出来るかも?」の子供とは浅川マキと小沢健二の間に誕生していたのかもしれない新しい音楽のことだったのでは。と、夢想する私はあまり素敵な気持ちでもない。が、オザケンて結構な不良少年どころか極道息子だかと今頃気づいて。