つまり自作の海賊版をみずから再産して

8月17日、水木しげる著『姑娘』(講談社文庫) を読む。本書は漫画家、水木しげるが貸本時代に残した軍記もの4篇に主題作『姑娘』を加えた編集版。但し初期作品はどれも画が荒く不鮮明。同様の荒っぽい仕上がりの貸本時代の全集が地元の図書館にもあるのだが。本書のあとがきによればこれらはいずれも「原稿はない。一冊残っていた貸本マンガから、コピーにとって復元させたものである」らしい。つまり自作の海賊版をみずから再産して公認版としたシロモノ。そんな荒技が許されるのも恐らく当時は無給で描かされた呪わしい出版元も消滅した今日このくらいのことはさせてもらおうという著者の情念あればこそ。触らぬ神となった著者が当時は「マニアしか読んでくれなかった」軍記ものよりもフロントに置きたかった新作が『姑娘』。姑娘と書いてクーニャンと読む。中国語で若い娘のことを指すが現在戦中派の人間が大陸の女性にこう呼びかけた場合はアメ公、露助に近い蔑称になる。が、それを言い出しては水木漫画の世界へは一歩たりとも踏み込めまい。終戦間際に中国大陸をさまよい歩く日本軍が小さな村を襲撃すると民家にかくまわれていた美しい娘を捕らえる。「戦利品」は部隊長に届けるまで分隊長が責任を持って管理する鉄則から当番制で姑娘を監視させるもすぐに兵隊同士で奪い合いのケンカに。責任を感じた分隊長が自身の寝床に姑娘をかくまって関係を結ぶ。日本軍と関係した娘はもう村には戻れないので「どうか私を妻にしてください」と懇願する姑娘。自分は下士官ゆえ「とても妻をともなって戦争するわけにはいかないよ」と詫びる分隊長。翌日は分隊長の務めとしてか上等兵にも姑娘を差し向けようとするが既に正妻のつもりでいる姑娘に激しく拒絶される。結果分隊長と上等兵はモミ合いから刺し違えに。過失とはいえ「女のことで部下を殺したなんてことになれば死刑だ」と悟った分隊長は自分は戦死したと後の者には伝えろと姑娘と共に姿を消すが。40年後かっての戦友会は観光で当地を訪ねて孤独な浮浪み者になった分隊長と再会する。旧陸軍の生存者として帰国し援助を受けてはと説得する戦友らにこれも運命と固く拒む分隊長。漫画家、水木しげるは運命の悪戯と生涯されるがままのあるがままに絡み合ってきたと私は思う。思うがそれはただ長いものには巻かれろといった凡庸な人生哲学とはまったく異なる。執拗な運命の悪戯にもいずれはみずから折り合いをつけてやろうとするやはり情念の人というか。