橋本治もすっかりオールドボーイか

10月20日橋本治 著『バカになったか、日本人』(集英社文庫) を読む。本書は作家、橋本治が2011年から2014年まで主に『週刊プレイボーイ』誌上に発表した時事コラムを再編集したもの。週プレの論客といえばプロレスで言うマット界の裏を知り尽くした人物のようにメインステージに少しの義理を売って舞台袖からきわどい野次を飛ばすオールドボーイといった感が。橋本治もすっかりオールドボーイかなどと感慨にふける自分もまた古い人間か。だが古い人間は新しい人間がこんな事態は初めてだと混乱する様をよそにこんなものは昔からあるのだと説く知恵がある。経験値というやつだが近年では健康不安も抱えた著者がそれでも伝えておきたい″この国の未来を憂うすべての人へおくる辛口の処方箋″の効き目やいかに。本書の冒頭には95年の阪神淡路大震災の復興はバブルの余力で都市計画の一環のごとく素早く進められたとある。私の感覚ではその後の97年頃また少しバブってきた感があったがあれは復興事業のお釣のようなものだったのか。ならば11年の東日本大震災の復興から2年後くらいにもバブル感はどこかにあったのでは。私の感覚ではその辺りからNHKのドラマのクオリティが予算も影響力も含めて民放を引き離してしまったと思える。橋本治のコラムを読むと世の中にはなんだかわなんないけどそうなってる奇妙な連鎖があると度々気づく。奇妙な連鎖とはいわばしがらみのことかもしれない。しがらみなしの若さと実行力を売り文句にする候補者も今度の選挙には大勢出馬した。が、しがらみなしで何が実行できるんだろか天使じゃあるまいしとはポスター刷の段階で当人だってわかってるかもしれないのだ。貧乏クジとわかっていてもあえてそれを引いて後々少しの義理につながればと苦労しているのはオールドボーイも「魔の2回生議員」も同じなのかも。著者にとって「物を考える」ということは「悲観的になる方向に進んでその先ですべてをグイッとねじ曲げて楽観的な方向に戻し返す」ことらしい。これはそのまま自身の小説作法である「小説ってのは全てを言いつくしてから結局何も言ってませんで終わるもの」と極めて近いよう。本気で何か決断するなら全ての考えを打しつくしてから最良の考えをとは私なども日常のかなりせこいレベルで思う。思うがそうした決断も周囲にとってはまたあの天使ちゃんが大甘なことをと呆れられているのかもしれないのだ。私自身のまだ上には上のオールドボーイがいるのだからという慢心ゆえなのだろうが。