20年ぶりに触れたこの最新作と

11月3日、BRAHMANの『今夜/ナミノウタゲ』(17年 トイズファクトリー)を聴く。96年に結成し現在も活動を続けているBRAHMANの音楽に私が初めて触れたのは世にマキシシングルなるものが出回った頃。既に三十面下げてレンタル店でアルバイトをしていた私の周囲で学生らがこれはカッコイイと騒いでいたその見本盤をそっとチエックしたところがBRAHMANのメジャー進出作だった。なるほど悪くないと思ったにも拘わらず私はその後BRAHMANの音楽から離れた。と、いうよりどこまで本気かわからない宗教的なビジュアルとアフガンゲリラのような出で立ちに引いた。現在私の住む街にも都会のスクランブル交差点にある巨大画面で最新音楽チャートを紹介する一角がある。その中に最近BRAHMANの姿を見つけた時は少し驚いた。何やらうさん臭い印象は残しつつも全国区入りしてしまった彼等の持久力に心の坊主刈りを差し出す思いで本作を購入。20年ぶりに触れたこの最新作とこちらはレンタルさせてもらった過去作の編集盤を聴いてみてもいきなり感嘆できるわけもない。が、「涙を流す前に 眠ったふりをした」という『今夜』の冒頭には初めて自分で自分を誉めてやりたい心持ちなのかと思える熱と重量が。曲調はこれまでの民族音楽を重工業的に再加工した独自の登録商標を一端外した歌謡ロッカバラード。これがまた泣けると彼等の音楽にそれほど付き合ってこなかった私にもしんみりする。私にはそのスポーツに全く関心がなくとも表彰式や引退式で選手が応援ありがとうございましたと涙声で観客に手を振る場面で図々しくもボロ泣きできる特異体質がある。本作を聴いてひとまず乾杯してる自分の変り身の早さこそが何よりうさん臭いのではとも思う。「やっぱりビリでも一番、ネガティブだけど前向きにっていうね」と結成間もないまだ新鮮だった筈の音楽誌の取材に応じるメンバーのあどけない顔はまだ何をも恐れぬ悪童のよう。「胸を張って 上を向いて 歩いて来れたなら たぶん俺ら 出逢ってないよ 誰かがヒソヒソ言ってた」という『今夜』の一節には人に言えない不義理や裏切りを経験したことも否定しない大人の顔をした現在が。そのプロセスこそが大事なのはわかっているのにそこは見たがらないこの私の小心。たとえば宗教学者が信者に寄りそって何か扇動したら終わりであって、などと自分に言い訳したつもりになってみてもやはりビリでも一番の持久力が生んだ結果を私は否定できない。