本作にはまさしくあの頃の空気が

11月4日、『夏の終り』(12年 クロックワークス)をDVDで観る。公開時に劇場で観たがその時は何度でも繰り返し観直したい作品だとはあまり。ところが今になって本作を何度も繰り返し観たくなった。パンフレットの表紙裏には2012年『夏の終り』制作委員会とある。私は本作が2011年に撮られたものと思い込んでいた。本作に映っているのが確かに2011年のこの国の夏だった。と、すればパンフの中で主演の満島ひかりが語る撮影中に心神喪失し突然泣き出したり笑い出したりしたエピソードも納得できるような。テレビもラジオもようやく通常番組に戻ったものの都心でもまだ結構な余震が続いてたあの頃。いつものようにお昼のバラエティで食レポを敢行するタレントらの表情は固く汗ばんでいたような。全体こんなことしてる場合なんだろかという混乱がこの国のどこで何をしてる人の心にも少なからずあったあの頃。本作にはまさしくあの頃の空気がつまっているのでは。と、思いツタヤのワゴンセールで入手したDVDを今一度穴の開くほど見続けたくなったのだが。パンフの発行日のクレジットはよく読むと2013年8月31日とある。DVDの発売日が2014年3月なので本作は2012年に撮って2013年に公開したのではなかったか。本作に映っているのはあの頃から一年経った夏の終りなのだった。それでも何やら語りかけては口をつぐむように人物同士のたわいないやりとりが次次闇に吸い込まれる演出には時代の空気があるよう。本作の後半で不倫のスリルにも互いの身の振りにも疲れ始めた満島ひかり演じる主人公と綾野剛演じる若い恋人が逢引き先でぐったりもたれ合う姿が印象的。そのぐったりした様子はまるで『ゾンビ』の後半で一組の若夫婦が生き延びることの意味も見失いかけたままひとつのベッドでぐったりと放心する姿に重なるよう。小林薫演じる主人公の情人の老作家は懐深い伊達男のようで只の駄目親父のようでもある。ここ数年に渡り小林薫という俳優が得意とする人物像だが。NHKドラマ『カーネーション』での演技は晩年の殿山泰司のようで痛快だったが本作では得意な筈の駄目親父役にも疲れ始めている感。遊んでばかりもいられないと無理に引き受けたエロ小説の仕事が所詮自分の手に負える分野ではないと泣き崩れる場面は象徴的。「もう居場所がないんだあ」と泣き叫びたい混乱はあの頃多くの人々の胸の奥にも同様に燻っていた気もする。脚本の宇治田隆史が捻り出したこの一行に2011年のこの国の空気は凝縮されていると感ず。