危険と引き換えに堅気の数倍の収入を

1月26日 、石井光太 著『浮浪児1945−戦争が生んだ子供たち』(新潮文庫) を読む。本書は77年生まれのルポライター石井光太がこれまで途上国のストリートチルドレンを取材し数々のルポを記した際に日本国内では同じような問題をどう解決してきたのかを疑問に思い戦後の浮浪児の取材にあたったもの。『新潮45』に元になった取材記事が連載されたのは12年から13年の間。終戦直後に就学児童である筈だった浮浪児たちは既に70代を過ぎており当時を語り継ぐにはギリギリのタイミングに。戦争孤児となり住むところも食べるものも自力で確保しなければいけない状況の中で浮浪児たちが得た収入源は靴みがき、新聞売り(拾った読み差しの新聞を高値で売る)、PX転売(米軍の放出品を高値で売る) など。これらの仕事で稼いだ日収は当時の公務員の倍以上。であるが浮浪児たちには安心して眠れる場所もなく地下道で眠る間に丸裸にされるなど日常が非日常。自殺者、発狂者も増える中で彼等にまず手を差し伸べたのは暴力団と街娼。当時の暴力団の収入は公務員の初任給を一日で稼ぐほどだったとある。堅気の職業の日収の倍、公務員の初任給をわずか一日でというくだりに思い出すのは寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』に登場する官庁勤めにあっても官僚コースを外れた課長どまりのサラリーマンが「ああ、俺の一生かかって稼ぐ月給は、山本富士子の映画数本の出演料だなあ」となげく不良少年入門の章。危険と引き換えに堅気の数倍の収入を得る点で更に連想するのは映画『ガス人間第一号』(60年 東宝)で主人公が研究者に口説かれて自身を科学実験に提供する謝礼がやはり勤め人の月給を一日で得られる「曲者な金額」だった場面。いつの時代も「曲者な金額は行き場のない若者を狙っているよう。今現在なら『ダウンタウンDX』に登場する芸能人の普段着の総額云百万円という数字は「曲者な金額」なのでは。「だが、今の日本にはがむしゃらに生きる姿を見かけることがほとんどなくなってしまった。時代の変化と言い切ってしまうのは易しいが、浮浪児たちの人生から生きることの意味を考えてみるのは、今の私たちには必要なはずだ」と考える著者の願いとは裏腹かどうか今の日本で「曲者な金額」に挑む若者は必ずしも世間向きに羨望を浴びないよう。その意味でもガソリンを使い果たした日本の戦後のその先を生きる若者の欲望の行方が気掛かりに。