サラダといえば芋サラダ世代である私

4月18日、『茨木のり子の献立帳』平凡社 写真=平地勲 を読む。以前にこの場で詩人、茨木のり子が唯一残した児童書『貝の子プチキュー』を児童文学の外側にいた茨木のり子が一回こっきりの冒険に挑んだ意欲作などと私は評した。が、『貝の子プチキュー』は茨木のり子が放送劇用に書いた脚本を没後企画として絵本化したものであり書いた本人は完成品に触れていなかったのだ。「現代詩の長女」と言われる詩人の略歴に紛らわしい茶々を入れてしまったお詫びに本書を紹介させていただきたい。本書は茨木のり子が昭和24年に始めた新婚生活から昭和50年に夫と死別するまでに残した日記と料理レシピを原稿にして個人所蔵の写真と撮り下ろしの写真を加えた料理本。撮り下ろしの写真とはレシピを元に調理した品々をスタイリッシュな器やインテリアで演出した写真のこと。昨今の映像業界には料理を美しく見立てるフードコーディネイトなる専門職が存在する。本書で料理・器 織田桂とクレジットされる人物がそれにあたる。トップメニューの「みどり式カレー」の外観は東京の下町で千円弱とられても納得の感のエスニック風カリー。発案者のみどりさんとは詩人、友竹正則夫人のことと注釈に。友竹正則のことを『くいしん坊!万歳』の歴代リポーター同様に映画のいい時代にスターだったおじさん俳優かと少年期の私は思っていたが。本業は声楽家で詩人であり料理本も多数著す食通であった。70年代には詩人もまだスターだったのか。茨木のり子川崎洋を中心とした詩誌『櫂』のグループは50年代半ばにシュークリーム詩人たちと揶揄された。お坊ちゃま集団という意味であり、その後の自由劇場の俳優や渋谷系ミュージシャン同様に憧れと嫉妬の対象だったはず。みどり式カレーが発案された頃の庶民はまだグリコワンタッチカレールーの出現におののいていたはず。「ターメリック(大さじ2)、カイエンペッパー(大さじ2)」なる表記にも何のことやらであったろう。それでも昭和30年代の東京の片田舎で入手できる食材はまだ決して豊かではない。サラダといえば芋サラダ世代である私にとっても今なお憧れと嫉妬の対象である茨木のり子の献立帳の魔法は解けそうで解けない。別にセレブじゃないんですよと結構なセレブに言われた時の拍子抜けというのか。昭和40年代の若者の熱愛した番カラ気質は茨木のり子のスマートぶりに代表される種も仕掛けもないハイカラにやっかんでいたよう。別に普通といえば普通ではあるんだが。