火木香って黒木香かなと

4月30日、阿部共実 著『月曜日の友達②』を読む。帯文には「マンガ賞総なめ!」「10万部突破!」などの二倍は大きな活字で「糸井重里さん感涙!」とある。学問の世界では30年以上前の出来事から歴史の中にファイルされるとか。若者文化史上の先人を感涙させたらしい本作にてシリーズは完結。80年代の学園漫画のように中高生のまま5年10年と引っ張るのは現在では無理があるということか。『空が灰色たから』(秋田書店)の狂犬病のごとき饒舌と比べれば本作は天然記念物なみの静謐さ。執拗に丁寧な描き込みの背景にはマンモス団地やカラオケ広場が歴史化しようと生き延びて真価を問われようとする気概を感ず。心を揺すぶる青春ドラマはいつの時代もいわば美辞麗句たが。本作には美辞麗句の宿敵となる無理解な教師や家族は顔を見せない。宿敵ながらも堂々と顔を見せて友愛を求めてくるのは子分に逃げられた人望のない不良少女の火木香だけ。「ふがふがうるせえな。私は男家庭で育ったからちょっと荒ー(あれえ)だけだよ」などとビッチの言い逃れのようなその主張にふと思う。火木香って黒木香かなと。黒木香飯島愛のように正確には受け入れられていないお茶の間の人気者の悲哀が火木香のキャラクターに描き込まれているのかと。「学校をもう一度めざせ!」と月曜日の友達である水谷茜と月野透に最後の後押しをする火木香だけが正確には世間に受け入れられない道で大成してしまうのかも知れない。「もっと色んなものを見て感じて勉強もして自分に何ができるか試したい」と悟ったはずの水谷茜もやがては都会から傷付いて帰ってくるのかも知れない。『アメリカングラフィティ』の後日談のような最終章に登場する後ろ姿の新一年生女子はもしや月曜日の友達の二世にあたる一粒種ではと私はほっこりしたが負け組中高年の感傷かとも。あとは野となれ山となれと無骨に言いきるほどに青春ドラマとしての完成度は上がるきれいさっぱり潔く幕を引く態度に誰もポプコーンを投げつけたりはしない。が、まだ右も左もわからない新参者までがいざとなったらこの俺が腹をなどと自信満々うそぶく近年の風潮にアレルギーの私には本作がミドル層中心に賞賛されているのがやや不満。現在から離れてもらしからぬ異様な若者に言うべきことを言わせる作風は増村保造の異様なドラマ作りに近い。やがては全篇笑って観ればそれでいいものなのかも知れないが。最近の帯文には「○○さん激怒!」なんていう例もある。それもまた売りになる異様な時代なのかと。