あれは女優魂というよりガッツである

11月2日、テアトル新宿にて『止められるか、俺たちを』を観る。監督、白石和彌。60年代後半の新宿でフーテン少女から若松プロダクションの助監督となりやがて国内初の女性ピンク映画監督となる筈だった吉積めぐみの23年の生涯を描いた本作。ではあるが演じるのは当時を全く知らない若い俳優たちであり演出するのは若松プロ出身で近年『実録犯罪物』で人気監督の仲間入りを果たした白石和彌。これまでも火の粉は充分浴びてきただろう白石監督が恩師である若松孝二の苦闘時代をあることないこと好き勝手に描いた本作は評判通りの快作。若松孝二役の井浦新は故人のモノマネでこんなに笑っていいのかと思う出来栄えである。その他の足立正生、ガイラ、オバケなど若松組の珍キャラ達もそれぞれ好演しているが肝心の門脇麦演じるめぐみはパワフルな男優陣とは対照的に物憂い。時代の空気を背負わせたというより吉積めぐみの存在が今では空気のようなものなのだ。数枚の記念写真とおぼろげな当時の噂話だけを頼りにめぐみを演じた門脇麦のひたむきさとギャグに走った男優陣を比べると別な意味で問題作にも感ず。60年代を振り返ってあの時代は単に映画を演出していたのではなく世界を演出していたと語った大島渚と心意気だけは同じつもりでいた若松組。その末端でもがいていためぐみの相談役は映画の現場に誘ったオバケこと秋山道男。本作に登場する若き秋山道男はめぐみと唯一同じ目線でなぐさめ合える天使のような存在。私は80年代末にトークイベントで見た秋山道男を思い出した。仕事絡みで知り合った女性とその場限りの関係を持ったことはと司会の内田春菊にいじられて「僕はアフターケアもするから」とムキになっていた姿が可笑しかったが。本作を観て男の現場で働く女の子の悲哀をまだ天使だった頃の秋山道男に思い知らせた人物こそがめぐみだったのかと。今も明らかではないその最期も本作では酩酊しながら睡眠薬をかじり郷里の母親に電話をかける孤独な自死として描かれている。「実録物」で注目された白石監督の作品には本当にあったことだからしょうがないでしょうという開き直りというのか至極クールな切り札が字幕となって登場するが本作にはそれがない。餞の言葉は「この映画を われらが師 若松孝二こと この時代を駆けた人々に捧げる」のみ。ならば己自身がスペシャルサンクスなクレジットを体まるごと捧げようとした門脇麦のガッツにこちらも燃えてくる一本。あれは女優魂というよりガッツである。この時代の心意気である。