今ここですべてを捨てる快感に対して

2月18日、サレンダー橋本 著『働かざる者たち』(小学館)を読む。本作はエブリスタ『コココミ』に17年5月から18年8月まで掲載された作品を単行本化したもの。同時期に『明日クビになりそう』(秋田書店)という同じサラリーマンものもリリースされた著者は“サラリーマン漫画の最低到達点”を欲しいままにしている。本作の主人公「サクリファイス橋田」は大手新聞社の技術局で働く入社2年目の会社員。直属の上司は入社25年目にして「逃げ切り態勢に入った働かないアリ」の一人。斜陽産業に大量発生中という「働かない人たち」と主人公の葛藤を描く本作の帯文には「弘兼憲史氏、大推薦!」とある。が、ドキュメントとしてはそれほど衝撃的なものではない。新人の頃に論説委員長に間違いを指摘した校閲部長の出世材料は同僚からのパクリだった話も子会社化を進めるためだけに移動してきた御意見無用の新上司なども出版界に限らずよく聞く。また折り込みチラシの広告料目当てに部数を水増しする「押し紙」なども私ですら知っている。著者の特性は一見頼りないようで実は過激なその画力なのだ。マシントラブルを人的ミスのように「オメエが代わりに取材してくれんの!?」と叱責する以前の同僚も子会社化された今はお客様。「何でもいいや」と土下座する図のすかすかのタッチこそいざとなれば古い手でと口では言うものの内実は乾ききっているサラリーマンの心情を見事に描いている。不正行為に引きずり込む目的で相談役になる販売局の上司がいよいよ暴力でおどしにかかる際にもいつも通り作り笑顔で「やれ」とつかみかかる描写もリアル。やはり著者はリアリズム派の作家なのでは。山田花子が初めて描いた漫画的にデフォルメされていない普通のブスのような革新性が本作にも随所に見られる。主人公が副業で漫画を描いていることを唯一知る小悪魔肌の女子社員との別れの場面。「君だけの魂がこもった作品を」と去りかけるその彼女の目が閉じている描写も秀逸。修学旅行でただ一枚だけ恋写できたクラスのマドンナの写真が変顔だったときのリアルにも通じる感覚をよくぞ今日まで保持できたもの。話題のバイトテロの資格者版のような不祥事も近年珍しくないが。半生を賭けてようやく習得した立ち位置を一瞬で無化したくなる衝動をあおるのは未曽有のエクスタシーのようなものか。今ここですべてを捨てる快感に対して捨てられない快感もあるのではと思わせる著者の頼りなくも過激な画力の可能性はまだ未知数。