が、渋谷生まれの著者は区立原宿中学

5月31日、塚本晋也 著『冒険監督』(ぱる出版)を読む。本書は映画監督、塚本晋也がこれまでの活動歴を初めて8ミリカメラを回した14歳の頃から振り返る自叙伝。80年代の終わり、本書にも登場する石井聰互や松井良彦や利重剛など期待の新鋭監督の一人としてデビューした塚本晋也は本命馬というより当て馬的存在だった。それが今も一線で活動を続けるしぶとさの奥義が本書には記されているかも。「1日のうち、最低3つくらいは大きな収穫がないと企画が終わってしまうという気持ちで」池袋周辺を自転車で走り回る著者の姿を私も何度か目撃している。活動拠点の海獣シアターのある大塚周辺でおやじ狩りに遭う有名なエピソードは当時映画の告知でテレビ出演した際のトークネタにもなった。「喧嘩しても絶対負けちゃうのは明らかなので、0.1秒くらいの速さでお金を出しました。あろうことか『これで許してください』とも口走っていました」という衝撃の告白。「立派なオートバイは初めから興味がありませんでした。自分の持てる力より少しだけ速く走ることができればよかったので」36歳にして憧れの原付を購入したマイペース振りと合わせて無謀な賭けには出ない姿勢こそが強味か。中学時代、初めて自作を上映した「図書館300人・ビッグイベント」にて広報も会場整理も映写技師も全て自身で仕切るとクラスのいけてるグループからも「表参道でアイスクリームを食べながらこっちに向かって「映画、良かったよ」と言ってくれたんですけど、それも嬉しかった」というエピソードは感動的である。が、渋谷生まれの著者は区立原宿中学校などという学園ドラマの舞台並みのブランド校に通っていたのだ。後に海外映画祭に自作を持ち込んで概ね好評だったのもその延長にあるのでは。つまりは都会派なのだ。育ちの良さにも恵まれず諸先輩に可愛がられもせずマイペースでいられたのも東京育ちの合点の速さというか諦めの速さゆえか。「いつもハプニングばかりだったけれども、あれはあれで面白かったなあ、みたいな。まあ、怒っていると身が持たなかった、というだけのことですが」といった姿勢が日本人にしては妙に余裕のある人物と感心を持たれたのかも。外国人に親切にされやすい日本人というのはいるものでそれは青山周辺におけるヘンテコな映画少年時代の著者と地続きなのでは。世界の市場を相手に今も『桐島、部活やめるってよ』の映画部のようなマイペースな活動を続ける塚本晋也は当て馬でしかない自分自身に賭けたのだ。