私には頼もしいその変わらなさが

9月21日、eastern youth『時計台の鐘』(NBCユニバーサル・エンターテイメント)を聴く。本作はアニメ『ゴールデンカムイ』挿入歌のタイトル曲を含む全3曲のシングル。『ゴールデンカムイ』とはどんな作品かとコミックス第一巻を読んでみる。明治37年の北海道の雪原を舞台に不死身の杉元と呼ばれる日露戦争の復員兵がアイヌ民族の秘蔵する幻の金塊を手に入れるべくアイヌの少女アシリパと共闘する冒険活劇といった大河ドラマ。既にシリーズ全体の研究本も出ている人気漫画らしくアニメも話題のよう。90年代のビジュアル系バンドの様にライブハウスからアニソンで一気に全国区にという展開も期待してしまうが。『時計台の鐘』はそうした内容の大河ドラマを現在に引き戻す幕引き係の様な歌詞世界。「本当は雪なんて降っていなかった ただ吐息だけが降っていた 時計台の鐘なんて鳴っていなかった ただ鼓動だけが鳴っていた」というくだりには今現在見える景色の中で思考のアンテナを張りめぐらせようとする吉野寿の詞作の変わらなさが。私には頼もしいその変わらなさが『ゴールデンカムイ』の急進的なファンには『ルパン音頭』を唄った三波春夫のごとく興醒めになるかもしれない。「感傷必要ねえ俺の感情回路を」、「『感動』は路肩の塵」という部分が本作で最もきわどい表現に私は思えた。ラグビーワールドカップ本戦と読売巨人軍優勝決定戦ではいずれの戦いがより英雄的か。より高尚な戦いというものはあるのかもしれないと感じるもそれもまた何かたぶらかされているような。『循環バス』の中の「一足飛び何処へも行ける でもこんがらがって縺れた足のもどかしさにふと諦めてしまうのさ」というくだりにはバンド自体が当初から背負ってきたテーマの様なものが。心意気はワールドワイドでも上を見れば切りが無しということも熟知したような。と言うとまるで大正文士だが恐らくこれまでのeastern youthの支持層はそうした文学性に反応していたのだ。それがともすれば大きく変化しようとしているのかもしれない。が、少しも変化しないかもしれない。かつて坂本龍一が音楽を担当した『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の様にアニメファンはその辺り敏感に嗅ぎ分けてスルーしそうな気もする。その辺りとはどの辺りかを説明するのは難しい。が、説明する必要もさしあたってない今現在に私は少しくらいは感謝しなければいけない気もする。