過去20年のハイライトシーンの再演

9月28日、日比谷野外音楽堂にて、eastern youth を観る。晴天に恵まれた客席は満杯。「うだつのあがらないバンドを20年も続けてきましたが、かき集めればいるものですな」と感心する吉野寿の健康状態も悪くないよう。過去20年のハイライトシーンの再演といった感のセットだったが極めつけの1曲をたて続けに10曲、20曲と演奏すれば観る側もこたえる。もう10曲やれ、朝までやれと沸き立つ聴衆もよく見ればそう若くない。90年代の終わりに青年だった聴衆も今や立派な中年。革ジャンを重そうに脱いで座席にへたり込んだ手前の男も40過ぎくらい。子供がぐずり始めるのを交代であやす家族連れまでいる。この日の模様は来春DVD化されるそう。その為か照明効果も凝っていて多分にドラマチックであるがゆえ聴衆の反応も自然芝居がかってしまいそうだが。「集団的熱狂とか求めてないですから、皆さんそれぞれで」と吉野寿が語る通りこの日の聴衆は飾り気なく大人だった。思えば80年代のライブシーンにはお飾りとしてのバイオレンスが持ち込まれていた。その場を盛り上げようとぎこちなくつかみ合う男らは私には少し不快だった。90年代になると今度はお飾りとしてのセックスが持ち込まれ始めた。その場を盛り上げようとぎこちなくからみ合う男女らは私には大変不快だった。そうした表面的な熱狂など今日誰も追及していないということか。現在のメンバーになってから発表された曲の中からはオープニングの『ソンゲントジユウ』と中盤の『時計台の鐘』の2曲が演奏されたが。「一時は終わりかけたバンド生命を蘇生させてくれた」と紹介された村上ゆかのMCは4年目にして自身の立ち位置がわかってきたという自負に充ちたものだった。が、『時計台の鐘』における聴衆の反応はどこかとまどいもあったよう。この曲を分岐点に自分たちのキャリアにひと区切りつけようとするバンドに対して何か警戒しているような。厳格な聴衆からは4年やってもまだ新顔扱いされるeastern youth というバンドは職人肌のプロフェッショナルなバンドだ。プロフェッショナルというものは金にならないこと以外は手出ししない拝金主義のイメージもあるがもっと危険なのは常人には何が匠の技かわからないことにつけ込んで阿漕なこともできるという点だが。物事の上っ面だけに騙されてはいけないというメッセージはもう充分伝わったし仮にバンドがここを区切りにどう変わろうと勝手じゃないかとも思えた。いつの間にやら皆すっかり大人になっていたのだ。