旗揚げ時のあふれくる本当の願いは

8月10日、鴻上尚史 著『鴻上尚史のごあいさつ 1981-2019』(ちくま文庫)を読む。本書は劇作家の鴻上尚史がこれまで手がけた自身演出による舞台にて配布してきた手書きの近況報告「ごあいさつ」を全て収録して新たに「解説」を加えたもの。81年の旗揚げ公演『朝日のような夕日をつれて』の「ごあいさつ」には「私達が今になってできることは、カウンターの片隅で第三舞台の最初の観客であるというだけで、見知らぬ人と五分間のうまい酒をかわせるような舞台と持続をつくりたいという、大胆ではありますが、あふれくる本当の願いを私達自身裏切らないよう精一杯生きるだけです」と記されている。昨年、『ピルグリム2019』を新宿シアターサンモールに観に行った帰りのこと、鴻上作品をお勉強に来た母子連れや舞台関係者らとは距離を置いた五十代のオールドファンのみが何となく団子になって駅まで歩く場面があった。私もその流れに参加しつつほんのり生温い心持ちにはなった。旗揚げ時のあふれくる本当の願いはこの様にしてほぼほぼ叶えられているのでは。とはいえ私も80年代の第三舞台の白熱の人生ゲームを半笑いでスルーしていた当時の若者の一人。本書の中に何度も登場する急上昇中の劇作家である著者と元恋人とのその後のエピソードを読んで私は気づく。鴻上作品とはあの時代に自身とすれ違った異性の面影をなぞるテキストでもあると。鴻上作品を高校生の息子や娘と観劇に来た見覚えあるその女性と下北沢ザ・スズナリからお尻をさすりながら帰ったのも昨日のことのようだねと五分間語ることの残酷さこそがドラマだろうと私は思う。思うが鴻上作品を子供世代にも信頼のブランドとして薦める母親にとっての人生ゲームは今後も順調なのだろうか。鴻上作品が今日までも信頼のブランドである要因は歴史と自分史、社会の変化と個人の変化をごっちゃにしたがる「現在」の若者にとって『第三舞台』は常に格好の教材だからでは。たまたま観に来たギャグ芝居に出ている役者のプライベートネタなんかいらないんだよと苛立っていたその昔といらないものや実際売れていないものにうっかりすると身銭を切らされる今この時との貫通に仏頂面で拍手を送る現状はどうもハッピーではない。どこか空騒ぎであり身内の出ない学生演劇を観るようだが。問題は学生演劇を本気でファンしてしまう「現在」の若者のおっちょこちょいだったわけだが。その点ではいい意味で淘汰が進んでいるのは奇妙だが心強いような。