その理由は若者にはまだ「自分」が

2月14日、橋本治 著『いつまでも若いと思うなよ』(新潮新書)を読む。本書は作家の橋本治が2014年に『新潮45』に連載していた老いと病についてのエッセイ集。第三章「自分」という名の項にて若い頃は自慢ではなく何を着ても似合ったと語る著者だが。「ファッションという外見を見せるものだから『自分』がない人の方がいろんなものが似合う」その理由は著者にはまだ「自分」がないからだという。それで私が思い出したのがエレファントカシマシのデビュー当時の服装。丸井でもジーンズメイトでもなく個人経営のメンズ店で精一杯きめてる80年代終盤の若者像は妙に鮮烈だった。エレカシのあのスタイルこそまだ「自分」なんかないと潔く認めた青年の主張だったのでは。当時の私はこれからはボ・ガンボスのような恰好をしようかと古着のアロハに百均の麦ワラ帽と造花できめたつもりで地元商店街を一回りしたところで力尽きた。自分には似合わないと。著者によればエレカシ御用達のあの「背広」は青年の体から出る「アクを吸収する装置」だそう。中年になりつつある青年がそれを身に着ければ目立たないアクとやらは私を力尽きさせた照れと迷いによる心の廃棄物だったが。「いつまでも『お父さんは西友のポロシャツ着てサンダル履いてる』じゃダサイので」登場したのがユニクロでありこれを着ると皆若くなるのだが。「そういう意味で私は、ユニクロの服を『かなり思想性の強い服』だと思うのだが、いつの間にかなんの話をしているのか分からなくなってしまった」という著者は本書を執筆中も病気療養中である。もう少し元気が残っていればユニクロの思想性の強さについて説き明かしてくれたかも知れない。私が勝手に読み取ったことはユニクロのようなファストファッションの店に並ぶ服は高価なヴィンテージ物のフンイキだけはありながら価格はお手頃だという点。もう一点はフンイキだけで満足できる方はどうぞというアプローチ。入り口はリーズナブルで負担も少ない点に惹かれる向きを吸収する戦略こそ思想性が強いというならば現在それらは市場に溢れている。個々のファストイデオロギー商品にいちいち待ったをかけていては生活できないのが現状ではある。が、肝心なことは売る側も買う側も感性が老化していてただ面倒臭いからこんな物は義理で参列した式典の引出物とでも思って受け入れている点ではないのか。その際、互いの体から出ているはずのアクのような物は果たしていつ何が吸収してくれるものだろうかと。