時代設定は大凡昭和初期、大凡日本の

4月7日、テアトル新宿にて『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』(20年 ビターズ・エンド)を観る。監督、池田暁。本作は海外の映画祭で評価の高い池田監督の初の一般劇場作品。時代設定は大凡昭和初期、大凡日本の内陸部に棲む兵隊の町というアバウトなもの。早朝から規則正しく兵舎に出勤し河原で正体不明の川向こうの敵軍に「午前は50発。午後は少し多めの80発」くらい威嚇射撃を繰り返せば一応軍人と認められ暮らしも立つ日常に多くの若者が充足している。か、どうかは皆仏頂面で語り口もからくり人形の様なためわからないのだが。少なくとも自殺や脱走が起きる程の混乱はない静かな兵隊の町である。登場人物がいずれも仏頂面で台詞も簡素な日常コントという点では本作に出演する竹中直人やきたろうが90年代初めに演じた深夜バラエティ『東京イエローページ』の流れをくんでいるともいえる。負傷した兵士が気を付けの姿勢で地面にうつ伏せて絶命する演出は『東京イエローページ』に何度も観た。俳優陣のなかできたろうだけが唯一微妙な感情的演技を許されているのは楽隊長役が意地悪でセクハラ好きという設定ゆえか。人形の様な無性格ぶりのままで意地悪さも表現するのは苦しい。イケメン俳優が汚れ役にヒートアップし過ぎた際のいたたまれなさに通じてしまいそうな。パンフの巻末にあるインタビューで池田監督は海外の映画祭にて「日本映画は登場人物の顔を見分けるのが難しい」と言われて個性というものを考えさせられたと語る。ならば総勢没個性の人形芝居調の演出にと開き直ったのではないか。思えば小津安二郎別役実も同じ様な視線を海外からの批評に感じてそれならゆっくり静かに話すからよく聞いてくれと半ばヒステリックにテンポを落として没個性的なからくり人形劇を演出したのではないか。76年生まれでまだ充分若い池田監督はこれから先も世界で勝負していく時間はたっぷりある。やけっぱちの開き直りが「ユニークで、とてもスペシャルだ」と好評を得る機会は今後もあるだろう。何より私個人にとって今ちょうど欲しかったゆるい刺激の笑いをタイミング良く提供してくれたのが国内では無名の若い「新人監督」だったことは嬉しい。同じテアトル新宿山下敦弘監督の『松ヶ根乱射事件』のラストシーンに生まれて初めて映画館の椅子からズリ落ちて笑い転げた思い出に続いて今はこれでいいというポンコツなりの充足感を届けてくれた快作である。まさに“夢のようでいて、リアリスティック”な105分は今だから手放せない常備薬といった感。