自分は稀なるこの商品をいち早く購入し

4月17日、根本敬 著『怪人無礼講ララバイ』(青林堂工藝舎)を読む。本作は88年の『怪人無礼講』をはじめ『サイドウ一代』『好色無頼』『タケオの世界』の4篇を90年に単行本化したものの改訂版。表題作の『怪人無礼講』は『QA』誌に連載時から低俗だと非難を浴びたというが当時の投書を紹介する番外企画の中の反根本派の推しは「マンガはしりあがり寿に限る」だったり「せいぜいエビスヨシカズまで。平口広美はダメよ」だったりする。賛根本派の意見には「根本敬のマンガは最高だ、宝島のうのけんといい勝負だ」などと今では貴重な証言も。やらせ半分としても前途多難なまんが道を本拠地の『ガロ』に求めた渾身作が『タケオの世界』である。新藤兼人監督作『第五福竜丸』(59年大映)とジョージ・ロイ・ヒル監督作『ガープの世界』(83年)を混ぜ合わせた本作は著者による精子三部作の第一弾。核実験に居合わせた船乗りの「ホルモン発射と同時にピカドン放射能浴びて」突然変異した一匹の精子がその姿のままこの世に生を受け人生の荒波に繰り出すという物語。女性同士の「夫婦」が顔のない父親を選び人工受精に頼るケースが現実化し劇映画にもなる昨今、『タケオの世界』はもうそれほどグロテスクに歪んだものでもないのかもしれない。根本作品は遠い未来には性差別のタブーにいち早く踏み込んだ教科書扱いを受けるのかもしれない。本作に解説文を寄せる呉智英が『はだしのゲン』を歴史の教科書扱いする若い読者に向けて本来はジャンクな見世物なのだと論じたように根本作品を本来の特殊漫画の立ち位置に戻せという運動が遠い未来に起きないとも限らない。「人類誕生の確立ってのは腕時計をバラバラに分解してコップの水ん中でかき回したら元通りになるってくらいの確立だってからよ」とビートたけしオールナイトニッポンで学んだ私にも生命の尊さとエロ本のチョイスは表裏一体である俗世間からはみ出したタケオ一家を支援してくれたのがスネ毛むき出しの昭和のゲイピープルだったのも必然的めぐり合わせか。されどそれらのシーンにも当時とくらべると格段に救いがありメルヘンチックに読み返せるのも時代の流れと言えようか。或いはどんな表現であれ特殊に限定された立ち位置にあっては石つぶてであり万民を包み込むことなど到底不可能ということか。それにしても私は『タケオの世界』を三十余年ぶりに読み返して少なからず感動してしまった自分に小さな誇りを持てなくもないのだ。自分はこの稀なる商品をいち早く購入し存分に楽しんでいたのだと。