人民服は入手困難でもハイソックスを

4月24日、『P-TRICK PLAN』P-MODEL(ワーナーミュージック・ジャパン・イヤーズ)を聴く。本作はP-MODELが79年に発表したデビューアルバムから80年のセカンド、81年のサードと計3枚から「コンセプトアルバムではなく名曲集といった性質」で選曲されたベスト盤。アグレッシブにぐいぐい聴かせる初期のナンバーが続くこれぞP-MODELといった切り口は近年封印されていたような。アニソンの大家となった平沢進にはこの頃の活動は気持ち黒歴史に属するのかと。人民服は入手困難でもハイソックスを両腕にかぶせるテクノ着はすぐマネできるため小中学生にも支持されていたP-MODEL的センスとは何だったのか。平沢進P-MODEL以前に活動していたのはマンドレイクというプログレバンドだという。片面1曲みっちり聴かせるような演奏スタイルが時代遅れになり曲は短くなるも詞はメッセージ色が強く何よりはっきり聞きとれる。英語は生活圏内のわかりやすい洒落気のないものだけカタカナ発音で使う。洒落気やごまかしのない口跡で言いたいことをはっきり言う姿勢は当時のテクノ御三家のなかで最もパンクに近い。デビューシングル『美術館で会った人だろ』は美術館で見かけた人が「街で会うといつも知らんぷり」なことからストーカーにおよぶ内容だがテクノ・ニューウェーブが好きなだけでは相手にしてもらえない令嬢へのつのる想いの悲喜劇性が今の若者に理解できるだろうか。「あんたと仲よくしたいから 美術館に火をつけるよ」のくだりには平沢進のパンク精神が刻み込まれているよう。何にパンクするのかといえば洋楽枠にもフュージョン枠にも門前払いの自分たちの音楽の評価に対してではないか。『子供たちどうも』のなかの「昨日も今日も明日もここかしこで 当然の分け前の生を もろもろのウソがウソが 無関心と二重思考が」と吐き出される呪詛の言葉には当時雑誌の取材に出かける交通費もなかったというバンドの苦境が目に浮かぶ。が、『MOMO色トリック』の「ピンクは血の色 ピンクは血の色 そこから始めてみようじゃないか」では見せかけの豊かさでいいからそれをくれと要求しているように思う。既存のパンクバンドも口に出せないことをはっきり言える厚顔には破壊者というよりは回収業者のごとき負のオーラが初めからはった。このバンドの持つ笑えないユーモアの核心にようやく気付かされたような。