中島らものひと夏の経験に乾杯

7月22日、中島らも 著『頭の中がカユいんだ』(集英社文庫)を読む。本書は作家の中島らもが広告代理店に勤務しながらコラムニストとして東京進出し始めた頃の「ノン・ノンフィクション」と銘打った処女作。ノンフィクションなんて体裁のいいもんじゃないということで内容はアルコールと睡眠薬をガソリンに恥も外聞もなく疾走した若書き。著者もそこが気に入っているよう。自分は今アルコールと薬物で酩酊しながらこの文章を書いているというようなスタイルが若者受けする芸術行為だったのは90年代後半までか。「パリに行く前の彼は、ひどいラリ公で、闇のような詩ばかりを闇の中で書いた」とあるようにその類のものは海外文学の香りがする格好良いものだった。が、その後はそれらも多くの人々の実生活に入り込み単にハタ迷惑な存在となる。ライブハウスのトイレから出てこない不審者や深夜のコンビニで店員にからむ常習者を見ても不快に思うだけになる。もう大分以前に神聖かまってちゃんてどんなバンドなんだとPVを観た。虚栄心から何かキメた振りで破壊的なパフォーマンスをしたりせず素面で健気に狂っている点には感心した。今どき感心な若者だと。それに引き換え今の時代に『夕やけニャンニャン』で素人が暴れ狂ったような醜態をすっかりいい歳の大人が披露している現行のジャンク小説など文字通り廃棄物だと思う。多くの常習者がアルコールと薬物から学ぶ真実とは自身には何の芸も術もありはしないということだけである。本書の三分の二はジャンキー作家で売り出し中の著者の武勇伝といえるラリラリの内容が続くが。最終章の『クェ・ジュ島の夜、聖路加病院の朝』で突如

として若さと健康を取り戻す。接待旅行で「一種の『女護ヶ島』やな」と噂される南洋の娼館を訪ねる著者はそこで「僕が昔中学の頃にひそかに片想いしていた。副級長のIさんという子にたいへんよく似ている」まだ十代の娼婦と出逢いメロメロに。二泊三日をフル稼働で六回も愛しあう活躍ぶりはそれまでのジャンキー生活と真逆だ。麻薬呑んでる連中のセックスなんていいわけがないと語ったのは三島由紀夫だが。90年代に最後の小波が押し寄せた感もあるフリーセックス文化がドラッグ文化と併存していた事実は致し方ないかとも思う。初恋の相手と南の島で真裸で再開する機会を路地裏の不審者が提供してくれることは稀だしそんな大舞台は間違いなく心臓に悪いと凡庸なジャンキーは骨身に染みてわかっていただろうから。中島らものひと夏の経験に乾杯。