オカルトの本質も知らずに興味本位に

8月10日、丸尾末広 著『犬神博士』(秋田書店)を読む。本作は漫画家、丸尾末広が91年から94年までヤングチャンピオン誌上に発表した作品を単行本化したもの。主人公の犬神博士は呪術師であり呪術にまつわる怪事件の現場に風のように登場する。この物語の案内人。90年代初め、呪術師や祈祷師といった職業にもメジャーとマイナーの格差があると一般にも認知され始めた感が。本作に竹中直人大槻ケンヂが帯文を寄せているようにオカルト的なものとたわむれる変な余裕が一般化していたような。著者は80年代初めに『ガロ』や自販機本にてキャリアをスタートさせておりヤングチャンピオンという場はマイナー作家のメジャー進出に思えた。その著者は遠藤ミチロウの追悼ムックの中のインタビューの中で「小さなライブハウスでは臓物を投げるパフォーマンスが活きるけれど、ホールのようなところで投げたって後ろのほうには届きません」と語るが。本作にもパンクバンドのホールコンサートのようなぎこちなさを感ず。自販機本で活躍していた頃の著者には本作とは異なる輝きというよりスリルがあった。放っておけば数メートルにも成長する爬虫類を夜店の水槽で呑気に飼っているような。オカルトの本質も知らずに興味本位に首を突っ込んでいたあの頃の大衆心理の原動力もそんなスリルだったのでは。メジャーなオカルトには少年ファンとたわむれる悪役レスラーのわきまえがあの頃も今もまだ残っているということなのでは。本作の第一話に登場する高校教師は女子生徒を妊娠させ自殺に追い込んだ件を知り自分を呪い殺そうとする男子生徒を返り討ちにしてこううそぶく。「俺を不快にさせるものがふたつある。前近代的湿潤さ。それとガキのひとりよがりだ」と。橋本治の『いま私たちが考えるべきこと』(新潮文庫)の”近代と前近代“の章には「近代は『自分の頭でものを考えている』と自覚する『現在』である」と記されている。士農工商の時代じゃあるまいし身分なんて関係ない。という考えの近代的な教育者はあの頃の学園ドラマの悪役の典型でもある。学校の先生だって人間だものという許しが獣じみた開き直りにまで拡大解釈される傾向は霊感商法グッズに変なオシャレ感があった時代の空気に寄りかかっていたよう。自分の尿を飲んで排出された尿を繰り返しまた飲み続けることで体内が浄化されるなどとオカルトまがいの健康法が近代向きの若者の間で流行していた過去も戒めを込めて今一度振り返っておきたい。