そして私もまた読後、暫くの間は虚脱

12月21日、大山海 著『奈良へ』(ハイド社)を読む。15年に第17回アックスマンが新人賞に入選した漫画家、大山海の2冊目の単行本である本作の帯文には「色即是空の大ヒット!3刷出来!!」とある。デビュー前から注目していたという作家、町田康の解説にも「これは途轍もない傑作だ」「私は読後、暫くの間、虚脱していた」と記されており期待も高まった。そして私もまた読後、暫くの間は虚脱していた。が、それはやる気も予算もないアダルトアニメを観た後のような虚脱感だった。デビュー当時の小林よしのりを思わせる著者の画力は同人誌レベル。それが主人公の漫画家、小山隆が描いた劇中劇としてインサートされる「売れる漫画」では小学生の絵日記レベルにまで劣化する。著者は町田康の他に中島らもにも影響を受けたと語る。96年生まれの著者は80年代の関西パンクの息子世代である。技術的には届かない対象をネガティブになぞる姿勢は楽器を演奏できない者同士が堂々とコラボやセッションに興じる関西パンクを連想させる。メジャー誌に持ち込みに行き「読者を感動させたいとかこんな絵が描きたいとか本当にそういう気持ちあるの?」と女性編集者に問われ「無えよ」「あんのは衝動だけですわ」と答える小山。つまりやる気だけはあると。後半部では小山が描いた架空のキャラクターが「物語」をはみ出して現実社会をさまよい住民票や保険証の手続きに四苦八苦する。その袋小路は「売れる漫画」を描いて成功したはずの漫画家がネット上でメンタルを疑われる奇行を演じたり消息不明になる袋小路と重なる。私たちはそれらをいずれも「物語」の中にファイルして忘れようとするが。本作のもう一人の主人公、ヤンキー高校生の清島は堀辰雄の文学と仏像に心酔していてただそれだけのことを己の人生を切り開く決め球のごとく離さない。私の高校時代、進路相談の席にてお前のその進学なんぞ馬鹿らしいという態度も結構だがその成績はなんだ、ドロップアウトできてないぞ、実際問題児なんだよというような説教を教師から受けても私は平気だった。当時の私は初期の大江健三郎の文学に心酔していたし関西パンクの存在も知っていた。ただそれだけのことで充分に生き延びていたその頃の自分に言ってやりたいことは何もないが決してヤケになっていたわけではなかった点が今思えば救いであった。本作に登場するろくでもない若者たちと同様に自分だけの決め球のつもりでいるサムシングエルスを私とて未だに手離せないのだ。