今聴き返してどこか問題がある感じは

1月12日、『唐十郎 四角いジャングルで唄う』(キングレコード)を聴く。本作は73年2月8日に後楽園ホールにて行われた状況劇場のリサイタルをCD化したもの。同年レコード化された本作の復刻はあり得ないと言われていたが。今聴き返してどこか問題がある感じはしない。が、レコ発直後に放送禁止になった『愛の床屋』については差別的表現は見当たらないものの床屋という呼称が古くは庶民の間の蔑称である点に配慮したものと思われる。今現在、古田新太の影響下にあるうだつの上がらぬ演劇人を想像するのが容易なようにその昔、唐十郎の影響下にあって唐十郎より成功した演劇人はいない。真似してるだけだろうと言われても真似してしまう磁力がそれだけあったということなのだろう。が、それはアングラ演劇全般にも言えた。これなら自分にもできるし誰がやったっていいのだというお手軽さこそがアングラの神髄だとすれば今の時代のアングラとは地下アイドルやおじいちゃん男優が活躍する企画物AVのことでは。誰がやったっていいじゃないかという主張が壮大なロマンだった時代の気分が頂点に達したのが70年代前半だったとするならば本作と『泉谷しげる登場』の高揚感は通じている。安普請でも不思議と景気よく落ち着かせてくれる熱気があるのだ。しかし今再び唐作品をテントの中で泥だらけになって観ても同じ高揚感は得られないだろう。私にしても高額なチケットを入手できれば最先端の劇場で宮沢りえがヒロインを演じる唐作品を観たいもの。03年、寺山修司の回顧展のトークショーに登場した九條映子が生きている間に制作したいのが「宮沢りえちゃんで『くるみ割り人形』をどうしても」と語っていたが。60年代の青春群像を先導した演劇人がこだわる宮沢りえとは何だろうかとも思う。本作の音楽監督というのか「指揮棒を振る人」は小室等。作詞は唐十郎によるもの。このコンビによる楽曲は全篇ジャックス風であり藤圭子北原ミレイの歌う演歌(怨歌)風である。川原者を自称する一座と同じく行き場のない若者からすっかりいい年の労務者まで強力な磁力で引きずり魅了し続けたエンタテイメントの缶詰と言える本作は私にはたまらぬ珍味。だが珍味類はどれもアレルギーという体質の演劇ファンの方が今は主流だろう。おじいちゃん男優総出演によるBL歌劇ほとの大珍味を古田新太新国立劇場で演出する時代まで生きてやってもいいんだぜという訳のわからない反抗心が沸いてくる快作。