本書はその花束の10年分の押し花

1月15日、宮沢章夫 著『時間のかかる読書』(河出文庫)を読む。本書は劇作家の宮沢章夫が『機械』という1930年に横光利一が発表した小説を11年以上かけて深読みし続けた読書レポート。雑誌『一冊の本』(朝日新聞出版)に長期連載されたもの。『機械』という小説は昭和初期にはまだハイテク技術だったネームプレート(役所が配布する番地が印字された表札)の製作所に集まった技術者3人がお互いをスパイかと疑いあうドタバタ喜劇風の心理小説。その作風は著者が80年代終盤に脚本を担当し、竹中直人、きたろう、ビシバシステムらが演じたコントに似ている。いつ殴られてもおかしくない無礼極まる男と周囲の人間の苛立ちをじりじりと描く展開は今観直しても面白いのではないか。お笑い番組のメモリアルを今DVDで観直して健康的に笑えることはあまりないがやはり時間をかけて作り込んだマニアックな喜劇の方が耐久性があるよう。『機械』の中で登場人物らの怒りが遂に爆発して三つ巴の乱闘になるクライマックス。著者はそのくだりを「困ったどん詰まり」と呼ぶ。大の男3人が劇薬に囲まれた快い製作所で団子になってもみ合う姿も喜劇的だが。その争いに火をつけたのはAとBがもめ始める様子を仲間のはずのCが至近距離から「観戦」していたことへの不満だった。『仮面ライダー』のショッカー総統や『スッキリ』の天の声のような遠くて近い安全な場所からことのなりゆきを見守る人物に権力者たりうる器量があるかないかで爆発の規模は異なる。私が20年ほど前、ビデオ屋のレジに立っていた際に当時のチーマーのような迷惑客にさんざん泣かされた直後に事務室から内線電話でもう通報したからそのままさわるなと荒らされた現場の保存を命じられた瞬間に感じた激しい憎悪。防犯カメラの映像からこちらを「観戦」していたその上司をの方が加害者よりも醜悪な俗物に思えた記憶を本書に解凍された感も。メールで退職届を送信することなど誰もが当たり前に思う時代はきても私のように「観戦」されたことが原因の職場のトラブルは続くだろう。著者が以前担当していたラジオ番組にて生放送中にスタッフが何やらもめ始めた空気が伝わってしまった時のこと、とっさに著者が「イヤー、今スタッフの皆が一斉に逆立ちをし始めまして」と平然と語った際にはさすが演出家と感心させられた。宮沢章夫の文学性とはふいの暴力に差し出されたとんちんかんな花束である。本書はその花束の10年分の押し花といった感。