文句があるなら本作の中の巻上公一に

3月28日、『風の歌を聴け』(81年ATG)を観る。監督、大森一樹大森一樹村上春樹の中学の後輩で実家も隣組であることから映画化権を素早く獲得できたそうだが。村上春樹の初期の短編小説を勝手に映画化したものは80年代半ばの自主映画界には数知れずある。それらの図々しい作品を今こそまとめて観たいもの。往年の文芸坐の珍企画『サイテー映画祭』以上に盛り上がるのではないか。本作で小林薫演じる主人公の相棒、鼠を巻上公一が好演している。巻上公一といえばデビッド・ボウイの追悼記事にまるでボウイの国内スポークスマンの様に再々登場していたことには少しモヤモヤしたが。文句があるなら本作の中の巻上公一に言うべきだろう。自作の8ミリ映画の中で鼠は「自分のすぐ足下の土を掘れるか」と訴える。カメオ出演している映画監督の黒木和夫によれば「ATGというのは芸術的な看板を掲げているけれども、東宝が苦肉の策で生み出した子会社の一部である」という。いずれは東宝に招きたい新人監督の腕試しの場ということならば後に斉藤由貴の主演映画やゴジラシリーズでヒットを放った大森一樹にとって本作は不入りでも記念すべき「最後の自主映画」なのだろう。ビーチボーイズの『カリフォルニアガールズ』が千野秀一の音楽とは別に主題歌の様に繰り返し使用されているが。これには角川映画ビートルズの楽曲を使用した時とは異なる何か法的な抜け道があったのか。「自主映画」だから相手にもされなかったのか。本作の設定は70年代初め、東京と神戸を行ったり来たりふらふら遊び暮らす大学生にしては小林薫巻上公一も少しおじさんに観える。が、実際にその頃の街頭デモに参加する大学生たちはさらに老けて観えた。老け込むというのは覚悟を決めているということだとしたら「それも納得できるが。室井滋演じる主人公の三人目の恋人のことを『彼女は彼女にとってふさわしい美人ではなかった」という村上春樹調の語り口が今でも引っかかる。彼女は美人ではないが気立てはよかったでいいじゃないか、室井滋だろうと私は思う。アタシたちはブスで売ってる訳じゃなくて全員個性的なのよと主張する国内の女性バンドにはそれにしてもブスだろうと素直に思う。が、同じ様な海外の女性バンドは興味本位に応援したくなる。日本人だから日本語の良し悪しが微妙なニュアンスまで理解できるこちには自信をもっていいだろうという価値観を外部から否定するものに私は強い反発を感じる。恐らく邦画全体がATG化しつつあるとしても。