芸術家に成ろうとも若い物は苦いのだ

6月22日、カルメン・マキ『アダムとイヴ』(69年 Sony Music  Records)を聴く。惹句には「現代のイヴ、カルメン・マキが歌う愛の孤独」「4人の詩人と8人の作曲家による10の歌」とある。69年2月に『時には母のない子のように』がオリコン2位の大ヒットを果たすと11月には本作のような売れっ子ゆえ可能な企画物アルバムが誕生した。高橋睦郎新川和江谷川俊太郎なかにし礼が作詞陣を、坂田晃一村井邦彦、東海林修らが作曲陣をつとめる「幻の名盤」の全貌は近年までCD化されなかった。先だってNHK総合でメルケル元首相のドキュメントを観ているとアイドル歌手時代の二ナ・ハーゲンのプロモとパンクロッカーとなり討論番組で若きメルケルとやり合うニナの変り様におののいた。アイドル時代の方がキュートで魅力とも感じたが可愛娘ちゃん役に嫌気がさしてパンク化というのも却って子供じみているようにも。アン・ルイスより一足先にアイドル歌手からロック歌手に変身したカルメン・マキの変り様に私はあまり思い入れがない。J-POP世代が細野晴臣はYMO時代よりはっぴいえんど時代の方がずっと興味深いという感覚に近いものかと。いっぱしの芸術家に成る以前の若手芸人扱いの抑圧にもがく姿に共感しているのかもしれない。が、その細野晴臣もYMO時代の話がややこしい所に差し掛かると当時は村井邦彦っていうプロデューサーがいてねと苦苦し気である。芸術家に成ろうとも苦い物は苦いのだ。本作の作詞陣で一番の大御所はライナーも担当する高橋睦郎だろう。現代詩の世界では大御所だが『時には』のEPを買ってカルメン・マキのファンになった若者に本作は荘厳過ぎたのでは。はっきりと宗教がかっているし受け手を選ぶようでもある。ただ受け手を選ぶといえば『無印良品』にだって当初はそんな挑戦的な所がなくもなかった。挑戦された以上は受けて立っても何のこともないものだったと69年に本作に針を下した若者はまだ感じていない。本邦初のコンセプト・アルバムと後に評価される本作だが「コンセプト」なるものが広く理解されるのはYMO以降でありしかもそれは「概念」というより「売り」とされていた。売る側にすれば早くこんな作品が大ヒットする世の中になって欲しいという祈りをこめたリリースだったのかもしれない。カルメン・マキという芸名がいつの時代にもタイムリーともずれているともいえない印象と同様に不思議と繰り返し聴いても飽きのこないやはり名盤である。