ニュース映画の決定的瞬間の様な生な

10月30日、『ションベン・ライダー』(83年キティ・フィルム)をDVDで観る。監督 相米慎二。83年の5月にかつて相米が助監督を務めた寺山修司が亡くなっているが本作の意図的な不格好さは寺山演劇に通じるものが。三時間半の作品を二時間にカットして話の繋がらないところは一行ポエムの様な字幕で説明しているがそれでも繋がらない。本作と同じく黒社会のドタバタ劇を描いた『唐獅子株式会社』が人物関係が繋がる程につまらなくなるのに対し本作は繋がらない程おもしろくなる。主人公の少年三人組(一人は性別上は女子)と奇妙な友情で結ばれる極道者の厳兵役には松田優作が起用されかけてたというが。黒澤明勝新太郎の衝突同様に映画の性格まで変えてしまうアイデアを強要しそうな気配に相米が引いたとか。けれども仮に優作が途中降板した場面から当然の様に代役の藤竜也が登場したとしても本作の魅力的性格は変わらない。寺山演劇における劇場を迷路化したり街の中で既に始まっている芝居を観客が歩いて拾い見たりする行き当たりばったりの舞台作りにこちらも参加している様な興奮が本作にもあるのだ。それが興奮をともなうのは現在では考えられない無謀なアクションのせいもあるが肝心なのは映画自体がお蔵入りしかねない危険な撮影をわざと素人撮りの風景画のサイズに収めた意図的な不格好さだ。ニュース映画の決定的瞬間の様な生な残虐性を観客に伝えるには観客一人一人に自分で考えさせるためのフックが必要である。当たり前の風景を観せられている様でも今確かにスタントではない原日出子が橋の上から川に飛び降りたぞと気づいた観客はヒヤリとする。が、そんな危険なことをさせておいてどうしてこんな素人撮りの画面に収めるんだと憤りも感じると同時にそのサイズでなければ気づかなかった残虐さについても考えてしまうだろう。厳兵と三人組がドラマチックに別離する場面での観覧車の中の盆踊り。珍妙なペインティングで踊る面々の心は暗い。『翔んだカップル』の人間モグラ叩きの場面同様に心を隠して阿呆に徹する歪んだ泣かせ演出は本来極めて日本映画的なものだが。相米演出によるそれらは岩波ホールで上映される海外作品並にインターナショナルなのだ。つまりは高尚なのだろうか。つまりはアングラなのではと私は思う。アイドル女優の乳首がチラ見できるとかできないとかこの際どうでもいいと言える気迫が本作にはある。その気迫はどうにも不格好で行き当たりばったりゆえに観客の胸を焦がすのだ。