二十余年振りの蔵出し爆裂音である

 4月29日、新宿ロフトにて「町田康VSノータリンズ」なぞ。新宿ロフトが現在の地に移転して今年で七年目だそうで、その記念イベントのよう。私は80年代の新宿ロフト町田町蔵スターリンのライブを体験したことはない。が、今でも手元にあるJICC出版局から出た『宝島ロッカーズ1983』というライブハウスバンドのカタログ本を、穴のあく程眺めてイヌやスターリンの秘蔵カセットを一日中聴いているようなインドアパンク高校生であった。
 秘蔵カセットとはイヌやスターリンの自主制作レコードを、友達の友達の兄貴の従妹の先輩の…と延々続く闇ルートでダビングを重ねて入手したシロモノで、当然音質は極悪。が、そのモコモコした町蔵やミチロウの肉声は、地方都市のインドアパンク高校生の想像力をかきたてたものだった。
 そういう時代から現在のように、ライブハウスなんぞ滅多に寄らなくなった中年期になったところでいきなり町田康遠藤ミチロウのジョイントライブというのも何というか。何というか感無量である。観る方も感無量なら演る方も感無量といったような。
 「今日は二人合わせて百十一歳ですから」とミチロウが相方トシを振り返り苦笑いと共に吐き出した怪鳥音歓喜するパンクス。パンクスっちゅかもうすっかり老成し始めて浅草の労務者みたいになっちゃった野郎どもが「あんたは変んねぇな!」と野次る。「変ったよォ」と淋し気につぶやくミチロウに人間ドキュメント感じて危うく涙しそうな私。ノータリンズは肉体労働者向けのアダルト・オリエンテッド・パンク。AOPか。
 そして町田康バンドの方は、一転して文学少女チックな可愛らしい女の娘をわんさか集めてくれていてありがたかったり。内容は書かない方が良いか。以前読んだ町田康のエッセイの中で、歌手のフューのライブに行ったが内容は書かない、行かぬ奴が悪いんじゃいといったことが記してあったはず。そうだ、行かぬ奴が悪いんじゃい。それにつきるね。
 逆に言うと行きたい奴はどうして必ず行けるんじゃいと。観たい人だけ観たらいいんだけどさ。観るけどさそりゃ。町田康が観たけりゃ観れて秋葉原ではしょうもないアニソンのイベントが押すな押すなの大盛況で。何ちゅかもう同じ通貨を使用したくないのですがああいう人々と私は。
 そして私もたかだか二千円の金を惜しんで、そこいらのショップじゃ手に入らない町田康のライブCDをその日は買わなんだ。ライブでお腹一杯でもあったもので。そのお腹がまた空いて空いて下北沢のディスクユニオンまで探しに行くが。無い。あぁ名前の歌よ。