日本のチェーホフは案外こちらである

9月19日、シネスウィッチ銀座にて中原俊監督『落語娘』を観る。中原俊監督が自らの出世作櫻の園』を今年リメイクするというニュースを知ったのは春ごろだったか。『櫻の園』は18年前に数多くの映画賞を受賞したし中原俊を一気にスター監督の座に押し上げた作品ではあった。が、その後の中原俊は次々と話題作、問題作を世に送りだすというより忘れたころにしんみりと味わい深い小品を発表する地味な作家肌の監督になってしまった。
教育映画の助監督からキャリアをスタートさせたせいもあるのか地味な小品は嫌いじゃないのかも。いや、そもそも『櫻の園』だって考えたらかなり地味な小品である。女子高の演劇部の公演間際の数時間のドタバタを描いただけのあの作品が発表された年はまだバブル景気の残る時代であり素人監督全盛の時代でもあった。素人にありがちな負けん気というかフックの付け方としていきなりなカースタントとかSFXとか竹に木をつないだような仕掛けのあるそれっきりのデビュー作たちに比べて『櫻の園』は当時不気味なまでの自然体でありそこが新鮮といえば新鮮であった。
あの作品が映画賞総なめとはどんなものかあのくらいは平均点だったはずというようなことを当時淀川長治が語っていたのを思い出した。他のジャンルで有名になった作家にとりあえず映画撮らせてしまう風潮の中で地味な小品ねらいのマイナー精神はうっかり玉をつかまされてしまったのだが。元々そういうスタイルの中原俊にとって『櫻の園』以後の18年とは苦難の道だったのだろうか。
などと思いつつ『落語娘』を観たところやはりというか地味な小品であった。予告編を劇場で何度も観ていて本編を改めて観ても予告編とインパクト同じなんだけどといった。落語協会から追放されそうなド不良の師匠を持つ女落語家の汗と涙の日々を描いた本作の盛り場っちゃ盛り場は過去何人もの落語家を変死急死させた禁書である大ネタに津川雅彦演じる師匠が挑むシーン。予告を観たかぎりではその高座にて師匠が絶命するようなしないような、危ういところでミムラ演じる女落語家にバトンを渡すような渡さないような。
本編では師匠は絶命しないし女落語家にバトンは渡さない。が、高座になだれ込んだミムラ津川雅彦が誰だいお前様はァなどとわざととぼけて問いかけるシーン。そのシーンでミムラが半泣きで胸を張り自分は貴方の弟子でありますと見栄を切るところで私はヘタリと号泣。『櫻の園』の記念スナップのシーンと同じだ。だから何よと思わせつつも泣かせる小品ならではのツボは外さぬ職人芸か。