時代の先端とはそういうものだよと

4月27日、『家族ゲーム』(83年ATG)を観る。監督脚本、森田芳光。助監督は金子修介だったのか。80年代半ばに渋谷にあったシナリオ教室に私が通っていた際に金子修介は目玉講師として照れくさそうにやってきた。その時、『家族ゲーム』の松田優作と同じ水色のセーターを着ていたのを思い出した。そのセーターのせいか逆に森田組の現場の話なぞは皆質問しにくくなり講義は盛り下がった。本作のどの部分に金子テイストが隠し味として生かされてるか探してみたが。宮川一郎太のライバルが差し入れだと届けるビニ本の束などは金子修介が厳選したものかもしれない。相米慎二が亡くなってすぐに銀座シネパトスで上映会があり私は出かけた。相米作品がすぐに観返したくなったのだ。今同様に森田芳光特集に出かけたいと私は思えない。今では何がおもしろいのかわからないが当時は笑ったギャグに気づかされたくないなと。松金よね子なんてただの嫌な女だなと気づいたところで何になるのか。時代の先端とはそういうもんだよと言われればそうなのだろうけど。いや、80年代の漫才ブームの頃に『シャボン玉ホリデー』の方が内容が濃かった笑わせて泣かせたなどとトンチンカンなことを言ってた評論家の負けん気がわかる感じがつらいのだ。もしかしたら今時の映画学校では私と同世代の講師陣が今時の若者にこういうものも観ておきなさいなどと『の・ようなもの』や『下落合焼とりムービー』や『ヘリウッド』までも薦め続けているのかもしれない。どうだった、知ってる俳優も何人か出てただろうと問われればハイ何人かと彼らは力なく答えただろう。あれ所さんですよねと目を輝かせる者もなかにはいるかもしれない。それはいいがその目の輝きを信じるような講師は多分だめである。あの日の金子修介は勘違いしないでよという不信ムードを発していた。目玉講師だものなと私は思った。でも本当は少しくらいミーハーの相手もしてもいいかと目玉講師も思っていたのでは。そのセーターもしかして優作さんのなどとそこそこカワイイ娘らに囲まれていたら。無論そんなことはなかった。金子修介は眠そうな目で寝グセ頭をかきむしっていた。講義の内容はまったく覚えてないがまるで浪人生のようなその姿だけは忘れられない。忘れろバカと金子修介に言われてみたかったかと問われれば少しくらい言われてみたかった。『家族ゲーム』ができるまでなんて今映画になりそうな難しそうな。監督したがりそうな嫌がりそうなのは金子修介。今では思い出したくないことばかりでなどと語りだせば私はつい吹き出しそう。