こんなことしてもいいのかと公開当時

5月25日、『ヒミズ』(12年ギャガ)をDVDで観る。監督、園子温。本作は11年4月25日の被災地にほど近い架空のローカルタウンを舞台に始まる。実際にロケが開始されたのは同年5月下旬。まだ瓦礫の広がる荒地の前で俳優が演技する。『男はつらいよ』のシリーズ最終作で阪神大震災のニュース映像に寅さんがCG処理でふらふら割り込む場面を思い出す。こんなことしてもいいものかと公開当時は何か引っかかったが。『ヒミズ』ではもっと思いきったことをしているわけでロケ先では報道関係者からの反発もあったという。当然だろうと私も思う。両親に見捨てられた15歳の少年が一人で貸しボート屋を営む姿に同級生の女友達と近隣のホームレスが協力し少年は自立の道をめざす。が、どうにか持ち直したところに舞い戻ってきた父親の相変わらずの暴力に耐えかねた少年は父親を殺害してしまう。そんな少年を最後まで支え続ける女友達の一途な恋心。現代版『小さな恋のメロディー』のようなハードロマンスにするはずだった本作は撮影開始前の3月11日をきっかけに台本を変更したという。架空のローカルタウンにははっきりと瓦礫を映してそれを背景に物語を進行する。他の誰もやっていないことだし普通はやらないことである。なぜやらないかといえばそんなことは不謹慎でハタ迷惑な市街劇のようなものだから。地元住民の難儀も無視して路上で騒ぎ血潮をブチ撒けて平気なわけがないと普通の人々は考える。普通じゃない人々を描き続けてきた園子温監督が『ヒミズ』をあえて原作の性暴力を迂回したロマンチックな作品にするつもりだったのは本気も本気であったはず。結果予定は変更されいつものバイオレンス路線に戻ったわけだが。いつものバイオレンスをもうそんなものにはシラけきった群衆の前に今さらテンコ盛る手法は『東京ガガガ』に近い。園子温のキャリアの中では最大のズッコケ企画、90年代半ばの渋谷駅前で渋谷系の若者の白い目線を浴びながらパッケージだけの学生デモを演じたあのお騒がせパフォーマンスに近い。もはややぶれかぶれというか。笑わば笑えというか。いや笑うどころか怒ってる普通の人々は『東京ガガガ』の現場にも多勢いたはず。それでもありったけのイメージと悪戯心だけでひとまず路上に飛び出して思いのたけをブチ撒ける。ただひたすら恥をかき空しく後片付けをする過程で一人二人と賛同者も増えてといったやり方は極めてアングラ的。もう一度『東京ガガガ』以上の顰蹙を日本中から浴びることが目的であれば本作もまた問題なしの問題作だが。