才能とは肝機能かとも思うのである

04年から08年までビッグコミックに連載していた『中春こまわり君』が単行本になったので早速入手。小説家になった山上たつひこは90年代にも青年になったこまわり君を突然復活させたが。その当時も全盛期と画力もギャグも劣化していない剛腕におののいた。そして今回の復活版も同様にパワフルであった。38歳で子持ちのサラリーマンになったこまわり君という設定が続編というより我々の知らない所で『がきデカ』が三十余年のロングランを休みなく走り続けていたかのような。
過去のヒット作を最近はヒットがないベテラン漫画家が復活させる場合、登場人物を大成させたり路頭に迷わせたりのドラマ付けを今一つしっくりこないタッチで展開してオールドファンまで引かせてしまう例は多い。『中春こまわり君』に登場するキャラクター群もそれぞれ老成している。栃の嵐は他界し栃の光なる孫が登場する。あべ先生は清治さんと離婚しアル中と母親の介護に苦しんでいる。そのどれもが単純な面白がらせではなくそうなるしかなかったんだろうなという説得力に満ちている。
本作の制作には江口寿史泉晴紀田村信がアシスタントとして参加しているが。『がきデカ』世代の彼等を含めた企画会議が繰り返しあったのかとも。山上たつひこ自身は『がきデカ』のヒットは自分史の中ではおまけみたいなものだと語っていたことがある。ネタ出しに協力してくれたと勝手に思っていた近所の寿司屋の板前を豪遊に誘って自己嫌悪したエピソードなどいかにも山上たつひこらしい話。本当に描きたいものは『がきデカ』以前にカルト扱いながらも描きまくっていたので少年誌に少年向きのギャグ漫画を発表するのは二次会の裸踊りみたいなものだったのかもしれない。引くなら引けと。
結果少年ファンは引かなかった。静脈まで描かれたリアルなタマキンに熱狂した。そんな俗悪な漫画を読んでいると将来ロクな者にならんぞと世の大人は非難した。30年後、かっての少年ファンは皆ロクでもない大人になった。パソコン関連の某ラジオ番組に鴻上尚史が「ネットの世界では限りなく最低になれるの、なろうと思えば。怖いよ」と語っていたのを思い出す。今、ネットの世界で限りなく不道徳な悪行三昧を続けているのは恐らくは『がきデカ』世代のロクでもない大人たちである。肉欲まみれ劣情まみれの俗悪コミックで育ったロクでもない我々世代ではあるが。『がきデカ』を通過していなかったら今頃自殺サークルに飛び込んでいたかとも。俗悪ゆえにタフネスな大人になるための未だ最強のテキスト。