大人のヒデキを振り向かせたいのは

9月7日、西城秀樹『ゴールデンベストシングルコレクション』(SONY MUSIC)を聴く。本作は72年『恋する季節』でデビューしたヒデキを83年『ギャランドゥ』まで収めた「懐刻盤」。本作のヒデキはデビューから4枚目までの青春歌謡期、『情熱の嵐』からの歌謡ロック期、阿久悠と組んだ大人の歌手期に分けられる。私がヒデキの音楽に生身で反応していたのは阿久悠と組んだ大人の歌手に変貌しようとしていた時期。その中でも78年5月25日発売の『炎』は忘れられない。この時代にはロックバンドからボーカルだけを引き抜いて売り出すロック歌手と呼ばれる新人歌手がいた。が、その大半は歌もルックスもヒデキの模造品だった。ヒデキ自身も同様にバンド出身なのだがロック歌手には属さず歌謡アイドルの枠で激烈にロックを演じた。それらが一段落したところで大人の歌手を目指し始めたのだが。『炎』はホテルのディナーショーが似合う大人の歌手路線からいったん降りるというか半ばあきらめて再びシャウトする無様さが痛くも印象的。「一生一度ならピエロも主役さ」という一節は『男はつらいよ』か『トラック野郎』の世界であり中年男のため息に近い。「ヒデキって年ごまかしてるんだって」などと当時の小学生の間でも騒がれていたが。大人のヒデキを振り向かせたいのは『ザ・ベストテン』に熱狂する子供なわけで。事態は土俵際にあったよう。結果的にはというかセールスのみが結果ならば大人のヒデキ路線は次の『ブルースカイブルー』の強引なまでの達観と老成で幕を引く。が、その直後には更に強引なアンコール展開とも思える『YOUNG MAN(YMCA)』の特大ヒットが待っていた。バンドにこだわらなくともロックできたヒデキであればディスコソングで小学生を踊らせることも可能だったかと今では思う。けれど元々デパートの屋上で青春歌謡を歌っていたヒデキには野球場であれホテルのディナーショーであれ容れ物はどうでもよかったのでは。無論ジャンルも作家陣も。本作のジャケットをショップで手に取った私は横尾忠則か、さすがはヒデキと感心したがジャケットデザインは吉野修平なる人物による横尾調のコラージュ。だが見ようによっては香港土産のブートみたいで格好良い。晩年の夢グループのステージで歌うヒデキを私は観たいとは思わなかったが。人前で歌えさえすれば容れ物は何でもいいという信条は最期までヒデキらしかったと思う。実際何でもよかったのだから。ヒデキがやるとなれば。